BEAMSのクリエイティブディレクターMAGO氏が語った「カルチャーのつくり方」

MAGOこと、南馬越一義氏は名物バイヤーとして、クリエイティブディレクターとして、人気セレクトショップBEAMSを牽引してきた1人だ。90年代には、いち早くアメリカのブランド「X-girl(エックスガール)」を日本に紹介。それまで日本になかった「ガーリー」「ストリート」といったムーブメントを生み出した。そんな彼とTABI LABO共同代表の成瀬勇輝がカルチャーの源泉を探る。

001.
職業柄、移動することが仕事になっている

成瀬 初夏にお会いして以来ですね。また国内外をまわっていたとか?

MAGO あの後は佐賀に行って、LA、ポートランド。そして苗場、石巻だったかな。

成瀬 石巻は、復興支援の一環として進めている「KENDAMA TOHOKU」が目的ですか?

MAGO そうそう。石巻には、川開き祭りというのがあって、その中のPLAY ON THE STREETというイベントで。けん玉をはじめとする物販とともに、東京からけん玉ブームの火付け役でBMXチームの430/FOURTHIRTYやライダー田中光太郎さん、そのほか仲間のDJなども参加してくれているんです。

成瀬 多彩なメンツですね。

MAGO 「KENDAMA TOHOKU」プロジェクトは、今春に僕のディレクションのもと、ヤフーが運営する「復興デパートメント」とのコラボレーションで進めています。東北各地の工房が行うものづくりに、クリエイターのデザインやけん玉のトレンド性を掛け合わせることで、東北のビジネス活性化に寄与する狙いがあるんですよ。

成瀬 おもしろいですね。もはやアパレルのクリエイティブディレクターの域を完全に飛び越えていますよね。 僕はもともとTABO LABOを立ち上げる前にNOMAD PROJECTというメディアをやっていて、その中で世界中にいるNOAMDな人々にインタビューしているんです。で、その人たちとMAGOさんって、同じ香りするな〜って。

MAGO そうかな? 僕、電車の中で仕事とかはしないですよ(笑)。ただ、ずっとバイヤーをやっていたから、出張の旅が多いのが当たり前になってる。あんまり机の前に座って仕事することはなかったし、今も机の前にはいることは少ないなあ。

成瀬 全然意識的じゃない(笑)。

MAGO うん。僕たちの世代は、島国根性じゃないけど、まだまだ「移動する」ってことへの意識は低いと思いますよ。自分も仕事柄こういうふうな働き方になっただけ。この仕事でなかったら、ず〜っと家から出ないような、引きこもりになっていたかもしれない(笑)。

成瀬 NOAMDって言葉自体が少し記号化していますが、意識的じゃなくても、移動することで「うねり」みたいなものをつくり出しているMAGOさんみたいな人、僕にとっては理想的ですけどね。

002.
背景に物語を感じられるものが、カルチャーになる

成瀬 90年代から今に至るまでの様々なムーブメントやカルチャー。MAGOさんはそれらを作ってきた1人だと思うんですが、ご自身としては、戦略的だったんですか?それとも感覚的? 

MAGO 難しいですね。当時はバイヤーだったので、他がやっていないものをやりたいというのは常に思っていました。 もともと多感な時期に、パンクなんかを聞いて、ユースカルチャー全般に興味があって、そこから洋服を好きになったんです。だから、バイイングも「海外の新しいブランドでかっこよければOK」みたいな感じじゃなくて、カルチャーが備わっているものを探していましたね。アティチュードを持っている洋服とでも言うか・・・。

成瀬 文化的なバックボーンがあるものとないものって違いますよね。何かモノを買う上で、そのバックボーンがモノへの物語になる。

MAGO わかりやすいところだと、ヒップホップ。音だけじゃなくて、ファッションやスタイルも付随していますよね。 90年代、僕はレディースを担当していたんですが、その当時、カジュアルでストリートのレディースウェアっていうのが存在していなかったんです。メンズものを小さくするとか、そういったものは一部あったかも知れないけど、反対に言えば、そういうものしかなくて。そんな時に当時人気のあったアメリカのバンド、ソニック・ユースのキム・ゴードンが洋服をはじめたという話を聞いて、それが「X-girl」というブランドだった。 「X-girl」に関しては、日本でいち早く仕入れたのが自分だったんだけど、それは僕が男性だったっていうのが大きいと思う。

成瀬 レディースなのに?

MAGO うん。競合のショップは、みんなバイヤーは女性。でも、彼女たちは、アメリカのオルタナティブなバンドとか、そういうものに興味がなかったんだと思う。一方、僕はカルチャーとファッションが結びついている、その背景にすごく惹かれたんです。正直言うと、売れるとは思ってなかったんですけどね(笑)。時代もあって、それが日本の女のコたちが求めていたことと合致して、すごく当たったんです。

成瀬 今振り返ると必然的というか・・・。

MAGO まあ、結果的にですね。当時もいろんなところから、「女のコの気持ちはわからないでしょ?」みたいに非難されたし。

成瀬 実際、バイイングする時に、女のコの気持ちは考えていたんですか?

MAGO 気にしていなかった(笑)。僕が「いい!」って思うものをやるって思っていました。

成瀬 やっぱり!

MAGO たぶんその姿勢が、ある種のイノベーティブなものっていうか。日本における女のコのストリートウェアというものに貢献できたのかも。

成瀬 時代背景はどうでしょうか?僕は1989年生まれなので、90年代初頭って後追いなのですが、当時の空気感は独特だと思うんです。バブルが弾けて、グランジのようなムーブメントがアメリカから入ってきて、60、70年代とはまた違ったユースカルチャーが形成されていった時代。DIYの精神、インディペンデントな動きが活発だった、そんな認識を持っています。

MAGO そうですね。多分、そんな時代と作り手の意図するところ、しないところが両方リンクしていたんじゃないかな。そのアウトプットがファッションだった。実際、ファッションが時代を作っているような雰囲気があったと思います。ここ最近はちょっと違うと思うけど、当時はそんな空気でしたね。

003.
紹介するだけじゃなく、一緒に新しいものを生み出していく時代

成瀬 ここで話題を現在に戻したいと思います。

今という時代で、僕が感じているのは、背景のある人たちがまた別のものに出会って、シナジーが多く生まれているということ。言語化が難しいのですが、「新しい何か」が生まれ初めているという感覚が強くあるんです。

MAGO 自分も「新しい何か」の予感がすることはありますね。例えばポートランドのライフスタイルが注目されていたり、佐久間裕美子さんの「ヒップな生活革命」みたいな本が出版されて話題になっていたり。

成瀬 『ヒップな〜』は、僕も最近読んですごく共感ができました。ポートランドには注目しているんですが、じつはまだ行ったことがなくて・・・。

MAGO 僕はついこの前に行ってきたんですが、おもしろかったですね。DIYみたいな言葉でくくられるけれど、それだけじゃない。ポートランドのカルチャーの中心にいる人って、リーマンショックなどで景気が悪くなって、仕事がなくなった若い人たちだったりするんですよ。 だから、DIYの精神といっても、生粋の職人が集まっている感じではなくて、グラフィックデザイナーがレザーの小物を作っていたりする。ローファイなものとテクノロジーが合体しているイメージなんです。そのあたりのボーダーレスな感覚がおもしろい。

成瀬 日本でも話題になっている「ブルーボトルコーヒー」なんかもそうですね。コーヒーカルチャーにテクノロジーの世界で生きてきた人たちが、投資をしている。 ポートランドで起こっているようなことって日本でも起こっていますよね。第一線で活躍していた人が、突然別の文脈で新しいことを始めるとか。あるいは物理的に都市から田舎へ移動してしまうとか。最近、多くなっている気がします。

MAGO ありますね。増えてきている感じがする。インターネットが出てきてから約20年っていうのも大きな意味があると思います。

成瀬 インターネットもそうですが、そもそもパーソナルコンピュータの出自は、かなりインディペンデントですからね。

MAGO と言うと?

成瀬 軍事的な目的で開発されたコンピュータを、個人に解放していこうよ!という動きから、インテリなヒッピーたちが「個人が持つことで、新しい時代を開拓できるのではないか」という発想に繋がり、パーソナルコンピュータの隆盛がはじまるんです。改めて、国から個人に力を戻していこうよって、ムーブメントなんですよね。

MAGO なるほど。洋服の世界でも、軍の古着や放出品をヒッピーたちが安く買い取って着ていたとか、似たような流れがありますね。

成瀬 で、PCを広めていったヒッピーたちのその先にいるのが、アップル社のスティーブ・ジョブズで・・・。

MAGO ジョブズは、当時のカウンターカルチャーを牽引した雑誌「ホールアースカタログ」のファンで、編集長のスチュアート・ブランドに憧れていたとか。

成瀬 同様に、現代でも一見まったく異なる文脈の人たちが集って時代とかを作っていく部分ってあると思うんです。TABI LABOもWebメディアとしては特殊なチーム編成になっていて、社内にクリエイティブ/クリエイターを抱えているんですよ。それもWeb出身者だけではなく、グラフィックだったり、雑誌の編集だったり、いろんな専門分野の人間がいます。

MAGO そこを狙っているわけですね(笑)。

成瀬 多様性というのが1つのキーワードになっているのは確かです。MAGOさんのお仕事のなかでも、そういった部分はあるんじゃないですか?

MAGO 僕の仕事は、根幹にファッションがある。だからニューヨークコレクションとパリコレクションを見ているのは当然として、個人的にはバイヤー時代からアメリカの西海岸のカルチャーに目を向けている部分はありますね。そこはファッションだけでなく、雑貨とか、いろんな角度で。

成瀬 やはり雑誌「POPEYE」からの流れですか?

MAGO 「POPEYE」のイメージだと西海岸はサーファーとかそういったノリだと思うんですが、実際に現地に行くとそれだけじゃない。パンクなヤツもいれば、ヒッピーもいる。それこそ多様性に富んでいるんですね。で、そこからシアトルだったり、サンフランシスコだったり。さらにファッションじゃなくて、陶器などクラフト系のアイテムに注目したり。

成瀬 なるほど。西海岸は僕も結構足を運んでいるんですが、ロサンゼルスにある「APOLIS」なんかはすごくおもしろいショップだなって感じましたね。

MAGO いいですね。じつは「APOLIS」は、今僕がやっている東北のプロジェクトでも何かできないかって考えているショップです。

成瀬 「APOLIS」はバングラデシュやアフリカ諸国など、よく途上国と言われている国の独自の力を最大限活かせる形で、プロダクトを作っているんですよね。

MAGO そうそう。マーケットだけでなく「社会に響く」みたいなところを意識していますよね。ソーシャルの色が強い。だからこそ、僕も一緒に何かやりたいなって。

成瀬 おぉ、それは!すごく好きなブランドなので、楽しみです。

MAGO だから、90年代は日本に新しいブランドを紹介するような立場だったけれど、今はもうちょっと海外のショップやブランドと一緒に作っていくイメージですね。

成瀬 時代ですね。TABI LABOが標榜しているのも、それに近い感覚です。海外の情報に触れることで、一歩踏み込んで、現地のカルチャーやライフスタイル、潮流みたいなものを感じてもらいたいんです。そして、感じた情報を自分自身に落としこんで、その情報からあなたがどう動いていくか。 TABI LABOの全ての記事の下に、「世界とつながる、MOVEする」と入れているのですが、記事を通して世界とつながった読者が、それをもとにどのようにMOVEするのか。海外で起きていることは、自分と関係ないことでも、特別なことでもないんですよ。

MAGO うん。世界は随分狭くなってきたと思うけど、やっぱり異文化に触れるっていうのは、どんなかたちであれ新鮮だし、刺激を感じる部分はありますよね。僕はファッションを通じて、それを伝えているのかも。

成瀬 で、僕らは情報を通じてその刺激を伝えている、と。

MAGO そういう意味では、僕らは案外近いかもね(笑)。

南馬越一義 / Kazuyoshi Minamimagoe

学生時代よりBEAMSでアルバイトをし、大学卒業と同時に入社。レイ ビームス渋谷の店長を経て、商品の買い付けを行うバイヤーに。レディース部門を統括するクリエイティブディレクターを経て、現在はビームス創造研究所 シニアクリエイティブディレクター。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。