「NYで日本語ラップ」俺が学んだこと

 

まずは体当たりでぶつかっていく勇気がとても大事だ。その気持ちはきっと周囲に伝わる。

My First Jam Session in NY 2015

 

NYにやってきた当初、どこでどうやってマイクを握ったらいいのかわからなかった。しかも、俺は日本語でラップをしているわけで、Hip Hopの本場で、英語じゃないラップで、受け入れられるのかも不安だった。

ブルックリンの自宅から一歩外へ出てストリートを歩くと、ここいら全員がラッパーなんじゃないかと思うくらい、みんな当たり前にラップしてる。バス停で話しかけてきた黒人はラッパーだった。レストランの隣の席で居合わせた白人もラッパーだった。出会うやつ、出会うやつ、みんなラッパーだ(笑)。

この街には、アメリカ中、世界中からプロのラッパーになろうと夢に燃える若者が星の数ほどやってくる。そのなかで俺は日本語でどうやってカマしたらいいのか、まったく見当もつかなかった。

まずはインターネットでジャムセッションをやっている場所を調べたりなんかして、情報を集めてみた。部屋で考えてても何もはじまらない。とにかく現場へ行こうと外へ出た。

NYの夜はいたるところで音楽が鳴っている。生演奏が聞こえる場所を見つけて入ってみる。とにかく「I can rap !!」とか言って、カタコトの英語で話しかける。もちろん、門前払いをくらう。そりゃそうだ。みんな本気でシノギを削っている。猛者が集まるNYはそんなに簡単じゃない。

俺は諦めずに、いろんなところに出かけて行った。ただし、カラオケみたいなジャムセッションには興味なかった。歌えればなんでもいいってわけじゃない。自分が求めるサウンドを探して、夜な夜な音楽が鳴っている場所に飛び込んだ。

その頃、知人を介してJoeという友達ができた。彼はBilalのツアードラマーをしている凄腕だ。早速、彼のライブを観に行くことになった。じつは、その道すがら俺は密かに「ただ観るだけじゃない。俺も歌ってやる」と考えていた。地下鉄のノイズのなかで発声練習までしていた。

会場はマンハッタンにあるバーだった。お店の中にはいると、ちょうどJoeたちのバンドのジャムセッションがはじまったところだった……鳥肌がたった。

今まで俺が観たどんなジャムセッションよりも洗練されてて、Hip Hopで、ブラックミュージックで、グルーヴィーで、とにかくカッコイイ演奏だった。生き物のようにうねるサウンドに恍惚としながらも、俺はステージ脇に置かれたマイクが気になっていた。

そのうち俺はいてもたってもいられなくなって、そのマイクを手にとった。まずはスキャットだ。Joeのほうをチラリと見たら、顎でクイっと「GO」の合図をくれた!そこからは無我夢中だ。フリースタイルだ。ラップだ。

 

これはその時の録音。6分30秒あたりから俺のラップが入ってくる。

https://soundcloud.com/dag-force/my-first-jam-session-in-ny-2015/s-dgzcK2rraEM

 

爽快だった。演奏を聴くこと、自分の気持ちを即興で言葉にすることに集中した。俺は一生懸命グルーヴしようとカラダを動かして、聴いたこともないメロディに言葉を這わせた。おそらく言ってることなんてどうでもよかった。日本語か英語かなんて問題じゃなかった。俺っていうグルーヴがそこで鳴っているだけだった。実際は1時間以上もパフォーマンスをしていたのだが、俺にとってはあっという間だった。

ジャムセッションを終えて、カウンターにビールを買いに行くと、その場にいた沢山のお客さんが声をかけてくれた。正直何を言ってくれているのか、あまりわからなかった。だけど、笑顔で肩を叩いてくれたり、連絡先を教えてくれと言ってくれたり。とにかく「よかったんだ」という実感が持てた。

NYへ移住後、初めて歌った記念すべき日となった。チャンスをくれたJoeには、感謝してもしきれない。その後、彼とは親友になって、2019年の俺の日本ツアーにも参加してくれた。今年はちょっと難しそうだけど、来年はまたJoeとツアーしたいな。

 

冒頭の繰り返しになるけれど、あらためて言いたい。

 

まずは体当たりでぶつかっていく勇気がとても大事だ。その気持ちはきっと周囲に伝わる。

 

DAG FORCE/ラッパー

1985年生まれ。NYブルックリン在住のラッパー。一児の父。飛騨高山出身。趣味は、音楽、旅、食べること、森林浴。NYでの日常生活で感じたこと。そこからポジティブなメッセージを伝えていきたい。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。