住民ゼロ、コンビニなし。「鉄工所の島」で音楽とアートの祭典がはじまったワケ

大田区京浜島──。現役で稼働する鉄工所を舞台にした、一日だけの音楽とアートの祭典「鉄工島フェス」が今年で3年目を迎える。

人家から離れた工業専用地域にあたる人工島は、鉄工所の音と火花でにぎわう日本のモノづくりの拠点。異色のフェスはなぜこの島で始まったのか?

都心から30分、知られざる臨海の小島を追った。

モノづくりの島のいま。

©2019 NEW STANDARD
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第二次大戦後の高度経済成長期。工業は大きな発展を遂げ、日本を支えた。なかでも、その下支えとなる機械金属加工を請け負う町工場がひしめいていたのが大田区だ。

日本のモノづくりの技術が世界的に評価されるようになった1970年代、繁栄の一方で顕在化したのが、住宅地と隣り合わせで稼働する町工場特有の騒音、振動、臭いなどの問題。

山積する課題を前に、それぞれの町工場は羽田沖の埋立地であった京浜島への集団移転を決断する。こうして、腕利きの職人たちとともに多くの鉄工所もまた京浜島へと移っていった。

だが、景気の波をダイレクトに受ける製造業。長引く不況にともなう低コスト化や、オートメーション化が進むにつれ、鉄工所の明かりも、ひとつ、またひとつと消えていった。

現在、工場は全盛期の半分ほどに数を減らし、職人も3割にまで減少。代わりに物流倉庫や産業廃棄物処理・リサイクルの工場が増えはじめ、皮肉にも「モノづくり」と「処理」が混在した島へと変容しつつある。

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島の中でも異彩を放つ「BUCKLE KÔBÔ」外観
訪れた日はフェスに向けた清掃で大いそがし

こうした現状のなか、2016年、京浜島の一角に誕生したのが寺田倉庫株式会社が運営する「BUCKLE KÔBÔ」。空き家だった2階建ての工場をリノベーションしてつくられた、オープンアクセス型のアートファクトリーだ。

1階は音や火花を気にすることなく、様々な加工作業ができるアトリエ、2階は展示・イベントスペースとして機能し、常時複数名のアーティストが制作にあたっている。

滞在制作を通して鉄工の島にアーティストが根付くことで、自然と京浜島の職人たちとの交流の場が生まれ、モノづくりのなかから現役の鉄工所を舞台とする「鉄工島フェス」は始まった。

職人とアーティストをつなぐもの

ところで、「BUCKLE KÔBÔ」の大家であり「鉄工島フェス」においては初年度(2017年)からメインステージの敷地を開放しているのが須田鉄工所。1976年に鉄工所として最初に移転してきた古参だ。

普段は貯水タンクや水処理用の配管フィルターなどを製造する金属メーカーが、なぜアートを受け入れることになったのか? “モノづくり”という点において共通するものがあるはず……。京浜島を代表してフェスの実行委員長も務める須田鉄工所代表の須田眞輝さんに話をうかがった。

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アートにも造詣の深い「須田鉄工所」所長、須田眞輝さん

「共通するといっても、性質は全然別なんですよ。我々の作業は図面通りに製品を仕上げていくことの繰り返し。アーティストは頭の中にあるイメージをかたちにしていく。それが同じ屋根の下で同じ時間を過ごす。180度も別の感性が交錯する。そこがおもしろい。自分の工場の横でつくられた作品をイベントでいろんな人が見に来たり、ここから海外に作品送ったりするわけですから」。

 

騒音や火花を伴ったり、足場を組んでの大掛かりなモノづくり。競合相手でもなければ、生み出すものもまったく別。けれど、そうしたプロセスのなかにある職人とアーティストを結ぶ接点を須田さんは感じた。

 

「同じモノづくりでも、僕らのような仕事はつねに“経済”と直結している。でも、アートは“経済”とは無縁のところにある。言ってみりゃ価値観でしょ。いくら溶接が上手くたって何にもならないけど、鉄工の職人だって元はと言えば名刀をつくりだす鍛冶屋ですから」。

 

経済や金銭感覚を物差しにすれば、職人とアーティストがこうして交わることはなかったのかもしれない。誰も見たことのない作品をつくりだす、そんなアーティストたちのクリエイションを島の人々は受け入れたんじゃないだろうか。

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「BUCKLE KÔBÔ」のアトリエ。白壁の向こうから演歌が聴こえてきた

いっぽうで職人の島にアーティストがやって来ることや、作業場をフェス会場として提供することに対して、島の同業者たちは“無関心”だと須田さんは笑う。だが、これは察するに感情や興味の乏しさではなく、「気に留めない」といったスタンス。工場が止まる休日の島、「お好きにどうぞ」とでも言うように。現役の鉄工所、それぞれの事情もある。

 

「若い人たちからすれば工場だらけで何の魅力もない、たいくつな島ですよ。でも、フェスを通してモノづくりの現場を覗けるわけじゃない?ここでこんな製品がつくられていたんだって。京浜島がもモノづくりの島だって知ってもらえる。そうやって考えれば、我々みたいな職人にとってもメリットがあるんじゃないかって思うんですよ」。

 

何もしなければそれで一日が過ぎていく。でも、それでは何も変わらない。京浜島で40年、それを目の当たりにしてきた須田さんは職人とアーティストが一緒になることで、モノづくりの現場から生まれる新たな熱量を感じた。鉄工の島の日常に与えた小さな変化は、回を重ねるごとに大きな共振となる可能性を秘めている。

小さな人工島から発する
ものづくりの魂

京浜島の熟練の職人たちから生み出されるモノは多岐にわたる。シリコンバレーに送る半導体、宇宙ロケットのパーツ、精密医療器具の部品……ベルトコンベア式の大量生産ではなく、どれも職人たちがプライドをかけてつくりあげたもの。

 

「島のおじさんたちがテクノロジーの一端を担っている。おもしろいですよね。そんな職人さんたちのなかには『自分たちも発信したい』と、作品をつくりフェスに飛び入り参加することもあるんです」。

 

鉄工島フェス事務局を担う寺田倉庫株式会社の中山亜美さんは言う。アートと音楽の祭典は、この島で働く人たちにとっての「祭り」でもあるようだ。

現に鉄工所の技術者とアーティストが、モノづくりに関わる技術や気づきのなかで交わり、コラボすることでさらなる創造が生まれている。昨年は、コムアイ(水曜日のカンパネラ)とSIDE COREメンバーが工場の日常を音で記録し、それを加工したインスタレーション作品をフェスで発表。京浜島に息づくものが作品化され、フェスのメインコンテンツとなった。

それこそが、鉄工所の島に「BUCKLE KÔBÔ」が存在することの意味ではないだろうか。

©鉄工島フェス実行委員会

コムアイとSIDE COREメンバーによる「北嶋絞製作所」とのコラボ作品

東京五輪以降も継続して発展していくため、羽田空港周辺から都心へと続く湾岸エリアは、いま急ピッチで再開発が進んでいる。そうした時代変化のなかで京浜島が単なる通過点ではなく、目的地となる可能性だってある。

かつての倉庫や港湾施設を再開発することで、世界から人が集まるカルチャー発信地へと生まれ変わったニューヨークDUMBO地区やロンドンのDocklands、あるいは北京798芸術区のように、アートや音楽のもつ影響力は大きい。かたや京浜島は、現役で稼働する鉄工所とのコラボレーションだ。

 

「そこが革新的であり難しい点でもあります。島の日常を壊すわけにはいきませんが、モノづくりの拠点となり、新たな文化の発信地として京浜島が発展していってくれたらと思います。いつか、モノを生む島に不要となって返ってきた品々を使って、アーティストが作品をつくりあげる。そんな循環ができたらいいなと思っています」。

 

中山さんは見果てぬ夢を追う。モノづくりの最前線で開催される、たった一日限りの祭典。数年後、「京浜島」という名を誰もが知るようになるかもしれない。目に焼きつけるなら、今しかない。

©鉄工島フェス実行委員会

「鉄工島フェス」誕生のきっかけとなった根本敬作『新ゲルニカ』

©鉄工島フェス実行委員会

「酒井ステンレス」の作業場の中でのアンプラグドコンサート(2016年)

取材協力:鉄工島フェス実行委員会、須田鉄工所

Top image: © 菊池良助:「鉄工島FES 2018」
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