元プロ野球選手のセカンドキャリア「クリケット・山本武白志」

スポーツ観戦をひとつの編集テーマとしている自分にとって、サッカー、野球はすでに日常だ。気になるのは“NEXT”。東京五輪を機にエクストリームスポーツは観戦スポーツの新ジャンルになりそうだし、ラグビーに至ってはエンタメとしての可能性をすでに世に示している。

そんな中で、目に留まったニュースがある。

「クリケットU19日本代表、ワールドカップ初出場決定」

ワールドカップの出場権獲得は上の世代も含めて日本初の快挙らしい。現時点で「次にくる!」とは自信を持って言えないが、強化は着々と進んでいるのだろう。そもそも世界の競技人口はサッカーに次ぐ第2位。競技としてのポテンシャルは決して低くないはずだ。

まずはプレーヤーに話を聞きたい。元プロ野球選手という異色のクリケットプレーヤー、山本武白志にアポを取った。

©2019 NEW STANDARD

世間が清宮フィーバーに沸いた2015年、夏の甲子園。彼もまた、ホームランアーティストとして大きな注目を集めていた。

所属する九州国際大学付属高校(福岡)はベスト8で敗退したものの、自身は2回戦での2打席連発を含む計3本のホームランを放った。印象的な活躍がスカウトの目に留まり、横浜DeNAベイスターズに育成枠で入団。恵まれた体格から繰り出す豪快なスイングでファンを魅了する……はずだった。

あの夏から4年。

野球界を去った山本が、今クリケットにかける情熱とは——。

「野球に対する情熱も、もっとやりたいって気持ちもなかった」

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──今、あの夏の記憶ってどのように残ってるんでしょうか?

 

自分の野球人生でもっとも輝いてた時期ですね。注目もされていたし、特に三年生の頃は本当に楽しかった。

 

──夏の甲子園で3本ものホームラン。

 

人生で一番気持ちいい瞬間。あれを超える快感はまだないです。

 

──甲子園が終わってからはプロ一本に絞っていた?

 

高卒でプロに行くことしか考えてなかったです。大学や社会人を経由してからって考えはまったくなかった。父親の体調が悪くて、時間がなかったので。

 

──あのタイミングでプロに行かなければ、ユニフォーム姿を見せられなかった。

 

実際にそうなってしまいましたし。ドラフトの半年後には亡くなってしまいましたから。

 

──ドラフトの育成枠で指名された瞬間はどういう感情に?

 

本指名と育成枠ってまったくの別物じゃないですか。育成制度自体を詳しく知らなかったし、軽い感じで「はい、行きます」とは言えなかったですね、やっぱり。

 

──複雑な心境だったんですね。

 

まずは育成制度がどういうものかを知るために一度相談するとは伝えたんですが、プロに行く気持ちはずっとありました。でも……まあ、本指名じゃなかったのがすべてです。

 

──想像していたプロの世界と実際との間にギャップはあった?

 

ギャップというよりは単に自分の力不足。それに尽きるかなと思います。周りの人がどうこうじゃなく、自分の問題。

 

──そして、戦力外通告。

 

前日に球団の人から電話がかかってくるんですよ。そこでだいたい汲み取るんです。正直、野球に対する情熱も、もっとやりたいって気持ちもなかった。ああ、終わったなっていう感じで。

たしかに、若いのにもったいないと言ってくれる人も多かったですよ。でも、育成という立場で入って三年間っていう限られた中で結果を出して契約を勝ち取れって言われたのに、まったく結果が出せなかった。クビになって当たり前という感覚です。

 

──トライアウトを受けようとは考えなかった?

 

逆にどこが獲ってくれるの?って思ってましたし、受ける意味がないと思いました。まだやれるという気持ちも、受けたほうがいいかなという迷いも一切なかった。もうだめだと。このまま野球をやっても未来はないと。

 

──二十歳の若者にはあまりにも残酷な現実。

 

さっきも言った通り、三年間で結果を出すという約束の中で自分が出来なかった。だからクビになったというそれだけのことですよ。だから僕は残酷とはまったく思わなかった。それを承知で入ったわけだし。

 

──同世代のオコエ瑠偉(東北楽天)や平沢大河(千葉ロッテ)の活躍は気にならない?

 

まったく気にならないですね。気にしないようにしてるわけじゃなく、単純に気にならない。テレビに映ってたら見ますけど、特別な気持ちもないです。

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──引退後、なぜクリケット選手に?

 

とりあえず海外に行こうと思ってました。幼いときに家族でオーストラリアに行ったり、中学のときに日本代表に選ばれてロサンゼルスに行ったりするなかで、海外への憧れが高まっていて。

で、あるとき知り合いの人と食事をしていて、オーストラリアのクリケットについて教えてもらった。その人の友人がオーストラリア人と結婚して現地に住んでいるんだけど、その子どもたちがクリケットをやっていると。僕は野球をやってたのもあるし、海外を考えているならクリケットもいいんじゃない?という話をしてもらったのがきっかけです。

 

──最初から他のスポーツを探していたのではなく、偶然が重なった?

 

野球人生が終わった段階では、もうスポーツで生きていくつもりはなかったけど、映像を見てみるとたしかにフィーリングが合ったというか、おもしろそうだと思った。

そこからもう一度体を動かし始めて、3月にそのオーストラリアに住んでいる人を訪れて少しだけ練習もしました。

そのときにはもう「やる」と決めていたので、帰国してからすぐに日本クリケット協会にメールを送って。

 

──自ら協会にメールを送ったんですね。

 

よく間違えられるのですが、決して協会の方に誘われたわけではないですよ。

 

──それにしても、そんなにすぐに本格的な転身がイメージできた?

 

だからこそオーストラリアにまで行ったんです。本場で練習をして、道具も買ってきてっていう。やってみるとかなり難しくて全然うまくいかなかったけど、決してネガティブな気持ちにはならなかったです。

 

──そして5月には、日本クリケット協会の本部事務局があり練習環境も整っている栃木県佐野市に拠点を移した。1日のスケジュールってどういう感じ?

 

ランチタイムはラーメン屋さんでアルバイト。まかないを食べさせてもらった後にジムに行って、夜から練習みたいな感じです。練習が無い日は1日中アルバイト。基本的に休みはないですね。

 

──苦学生の生活のよう……。

 

ベイスターズのときは寮でしたが、ひとり暮らしみたいなもんですから。洗濯もやってたし、自炊もできたし。今はほとんどラーメン屋のまかないなので、自炊はしてないですが(笑)。本当にありがたいですね。

 

──縁もゆかりもない土地。迷いはなかった?

 

協会の方に「佐野が日本で一番環境がいい」と言われたので、迷いはなかったですね。沖縄の環境が一番なら平気で沖縄に行くつもりでしたし、もうどこでも行くつもりでした。

 

──実際にクリケットをやってみてどう?野球の経験は生きる?

 

そもそも野球の経験を生かそうとする気持ちはまったく無いです。結果的に野球と似てるからっていうところはあるかもしれないですが、最初から寄せようとは思ってない。クリケットについては素人なわけで、まずはクリケットの技術をしっかり聞いて、学んでってことしか意識してないですね。

逆に野球の変なクセとか、邪魔なので早く取っ払いたいと思ってますよ。

 

──あれだけ野球に打ち込んできたら、クセはやっぱり出てしまいますよね。

 

一番戸惑ったのは、自分の体に向かってくるボール。野球で言えばデットボールです。小さい時から、どう避けるかとか、どう上手く当たるかを練習してきたわけですが、クリケットはそれも打たなきゃいけない。怖いとかじゃなく、どうしても体が動かなかったですね。

 

──だけど、今夢中になっている。その魅力はどこにあるんでしょう?

 

まともに芯で捉えたときは本当に気持ちいい。やっぱり試合が一番楽しいです。

 

──新しいものを貪欲に吸収して楽しめるタイプなんですね。

 

緊張しない、物怖じしないというのが自分の特徴。だからこそ、新しいものが好きだし、チャレンジもできる。

 

──「観る」という視点だと、クリケットのどういうところを観たら面白い?

 

海外のプロの映像を見ると、結構アクロバティックなことをしたりするんですよ。ボールに対する反応の速さがすごい。

あと、面白いかどうかはわからないですが、アウトひとつの重みがものすごい大きいということはあるかもしれないです。野球だったら「はい1アウト」みたいな感じですが、クリケットはひとつアウトをとっただけで大歓声。そういうところは見てて驚くと思います。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。