みんな、妄想の塊なんだと思うと接しやすい。NYOTAIMORI TOKYO インタビュー


「エロ」は、人々の妄想を掻き立てるもの。
 
そこに宿るファンタジー性は、人間の可能性を切り拓く創造力、そして想像力を大きく高めてくれる大切な要素なはず。この特集では、エロスとファンタジーの密接な関係について、様々な舞台で活躍する「表現者」にオープンマインドで語っていただきます。
 
第1弾は、NYOTAIMORI TOKYO。江戸時代の遊郭で「大人のお遊び」として、人々の密やかなるファンタジーであった女体盛りを、パフォーマンスショーとして現代に蘇らせたアーティストチーム。 生身の体をつかったショーを目の前にしたとき、人間の脳内にはどのような現象が起こるのだろう?それは「エロス」という言葉で語れるもの?それとも説明のつかない「畏怖」の感覚? チーム代表の Myu Chan が語ってくれました。
 
NYOTAIMORI TOKYO

2015年より東京を中心に活動するアーティストチーム。 日本で唯一の女体盛りパフォーマンスを行う。 食、ファッション、音楽、デコレーションなど様々な要素が絡み合う洗練された演出は、従来の女体盛りのイメージを覆し、国内外から注目を集めている。

見たことのない「女性の状態」を目にすると
男の人はどうなるか

©NYOTAIMORI TOKYO

 

——女体盛りショーの様子、かなり衝撃的です。これ、実際見られている方たちはどんな顔で見ているんですか……?

 

男性と女性でかなり反応が違っていて。どちらかというと女性はオープンというか、ストレートに反応してくれますね。自分の体の延長でもあるし、その扱い方も知っている。だから、ダイレクトに「かわいい」とか「きれい」とかすぐに言えちゃう。一方男性は、どう反応したらいいか分からない……っていう感じ(笑)。

 

——ちょっとタジタジする、みたいな?

 

たぶん、ショーとして、目の前に広がっている光景がすごい複雑なものだからなんですよね。普通に考えると、露出した女の人が出てきたら単純に興奮したり、エロいな!ってなると思うけど……めちゃくちゃ威圧感があるというか、人間離れしたような状態になっているから。ある意味、怖いんだと思います(笑)。自分が女性に対して思っていたこととか、普通だったらこういうふうに反応するべき、という記号みたいなものが全部取っ払われてしまうというか。

 

——自分の中である程度準備していたことが、女体盛りが出てきた瞬間に全部ぶっ壊れる……。

 

ショーが始まると、空気感が明らかに変わるからですかね。人間離れした、一切動かない女体を前にして引いてしまうというか。体に乗っているお寿司を取る前に、女体に向かって一礼する人とかもいるんですよ、神社みたいに(笑)。そういう姿に、グッとくるんですよね。彼には今、あるフィルターがかかって見えているんだなというのがわかる。

そしてそれはすごい文化的な反応というか、なんかいいなと思うんです。その人にとっての女性像とか、女性に対してはこういうことをしなきゃいけないとか、受けてきた教育的なこととかが蓄積されてきた状態のところに、見たことのない女性の状態が目に入ってくる。今、できる自分のベストな対応は何だろうって。一生懸命「何か」を思っているような反応が嬉しいですね。

それって、男性とか女性とか、
そういうのを超えておもしろいこと

 

——古くからある女体盛りというものを、なぜ新しい形にしてパフォーマンスショーに?

 

最初のきっかけは、自分の誕生日に「女体盛りケーキがほしい」と言ったら、仲の良い子たちが本当に準備してくれて(笑)。女体盛りに特別な思い入れがあったわけじゃないけど、普通には実現できなそうなことをやりたいなと考えたときに、出てきたのがそれだったんですよね(笑)。

 

——人の体をつかってアート作品をつくることには、そもそも興味があった?

 

そもそものきっかけは、中学生くらいの頃から自分の周りにゲイの友人やトランスセクシャルの方がいたっていうのがあると思う。彼らは、性別を自ら選択するっていうことがやっている人たちだったんですよね。だから女装をして遊んだりとか、生まれ持った性別じゃないほうの性も楽しんでいて。

それって男性とか女性とか、そういうのを超えておもしろいことだなと思ったんです。変身して、変態して、メタモルフォーゼしているみたいな状態が。装飾することによってマインドも変わるし、違うものになった感じがするんですよ。

なので、それの延長じゃないけど、女体盛りという方法で身体をデコレーションしていって……というのがスタートですね。それが意外と盛り上がって、そこからイベントとかもやるようになっていったんです。

 

「ドン引きする」でもいいから、
なにかを感じ取ってもらいたい

©NYOTAIMORI TOKYO

 

——では、トランスセクシャルの方たちの影響はかなり大きい?

 

そうですね、やっぱり性転換をした時の話を聞いたり実際にそばにいると、自分には見えていないものがその人には見えているんだなって感じて。たとえば誰かがつくった作品を見ていると、作っているときの感情とか状況とか、そういうのが見えてくるものってあると思うんですけど。

でもその中で、説明されてもわからないものというか、あ、これ完全に降りてきているな、神降ろしの状態でつくられたんだなと思わせるものって、やっぱり超かっこいいなと思うんですよ。圧倒的な感覚を得ているからこそなのかなと思います。

 

——自身の活動も、自分の中で想像し得ないものが大きな原動力になっているんですね。

 

うん、本当にそうだと思います。自分が見たことないものや見たいものを、やっぱりつくっていきたいなって。NYOTAIMORI TOKYO の作品も、もちろん肯定する意見ばかりじゃないですけどそれが面白いなと思っていて。ドン引きするとかでもいいんですけど、何かスルーできない状態にさせたいというのはありますよね。見に来てくれたお客さんに対して。

日常の中で「これって正しいのかな?」って引っかかる部分って、見つけようと思えば、たぶん人はたくさん見つけられるけど、それだと生きるのが大変になっちゃう。だからある程度、物事がきれいにラベリングされた状態をそのまま受け止めて生きるようになっていくけど。そこが1回、なんかこう狂わされるというか。1発殴られるような状態になってくれるのは、理想ですね。

 

——「肯定する意見ばかりじゃない」というのは、どんな意見があったんですか?

 

「女性を物みたいに扱うな」とか。ある程度は想像していたんですけど。そこじゃないんだけどなって。そもそも作品をつくる上では、彼ら、彼女らに対して、人間じゃないものを投影できる存在として考えているから。女性性にフィーチャーしているとか、男性性にフィーチャーしているとか、そういうことではないんです。

 


これ、アルチンボルドのオマージュなんですけど。正直なんだか分からないじゃないですか。人間かどうかも迷うというレベルで。でも、女性、男性、両方でつくっているんですよ。あくまでも「顔盛り」です。

 

——「体」にフォーカスしているわけじゃない、ってことなんですね。

 

さっきも少しラベリングの話をしましたけど、女性の体もきれいにラベリングされた状態だけを見てそう言っているだけだと思うんです。でも、それ以前にもっとぐちゃぐちゃで複雑なものってたくさんあるから。その状態を見た時に、人はまた感じたことのない感覚になるんだと思う。そういう状態っていいよね、と思っているだけなんですよ。

 

みんな「妄想の塊だな」と思うと接しやすい

©NYOTAIMORI TOKYO

 

——すこし話は戻りますが、自身の中に、威厳を放った状態に対する気持ちとか、儀式的なこととか、そういうものへの傾倒があったりするのでしょうか?

 

儀式とか宗教にはすごく興味ある。芸術も好きだからずっとそういうことについて考えているけど、芸術ってやっぱり宗教が大きく関係するじゃないですか? 宗教画や、宗教建築も素晴らしいものが残っていて。そこに全力投資して人生をかけてきた芸術家がたくさんいるっていうことは、やっぱり絶対にそこに何かあるわけじゃないですか。

 

——その人たちはいなくなっても、彼らの精神は形として残っているわけですからね。

 

人の想像力を駆り立ててくれるものとして、「畏怖の念を抱く」という心があると思うんですけど。でも、そこには何もなくて。神様だっているかどうかは誰にもわからない。そういうときが、人の妄想や想像力が一番働く瞬間なのかなと思っていて。

何もない場所に何かを感じてしまうってすごく創造的だし、芸術としてすごくいいなと思うんです。魂レベル超高いな、みたいな(笑)。純度高い何かを求めているその心は、本当にそうだと思う。

 

——Myuさんが、創造につながる妄想や空想をしている瞬間ってどんなときですか?

 

わたしはずっと妄想状態ですよ(笑)。ずっと空想状態。自分の実体すらつかめないなというのをずっと思っていて。だってこんなに近くにあるのに、自分の内臓だってまだ見たことないし、知らないことや見たことないものばっかりで。ずっと妄想し続けている感じはしますけどね。

でも、みんな妄想の塊だなと思うと接しやすくないですか?(笑)。その引き出し方がみんな違うだけで、各々の妄想が存在している。だからもうそれでいいかなと。夢か現実か、わからない状態のまま続いていくみたいな感じですね。

 

エロに対しても、何に対しても、
自分を理解する努力をしているのっていい

 

——ちょっと聞きたいのが、厳かな雰囲気のある女体盛りに対して、ちょっとエロい目で見に来る人がいたとして、それはそれでよしとしているんですか?

 

それはそれでオッケーです(笑)。相当エロから遠い状態のものを見て逆にそう思えるって、おもしろい人だなとも思うんですよ。そこからもいける人なんだっていう(笑)。バイブス高いな、とも思いますし。私としては、そういう人もいるだろうというのは想定していることですよ。

 

——エロい目には寛容、ということですね。

 

うん、寛容というか、どうしようもない部分もあるなと。性癖に関しては、わたし昔から変な人を見るの大好きなので(笑)。本当にいろいろ見てきたんですけど、わりと何に対してもエロい目で見ることができてしまうというか。いるじゃないですか、車を見てもエロいと思える人とか。人間は何にでも興奮できるからタフだなと思いますね(笑)。で、そこにはすごい想像力があって、自分でそういうポイントを見つけてきているっていうことで。それってすごくいいですよね。

 

——NYOTAIMORI TOKYOの作品は、体を体ととらえない、とか、なるべくセクシャルなものを消していくというコンセプトがあると思うんですけど。

 

でもやっぱり人の体があるという時点で、どうしたって1パーセントはその要素が入ってきてしまうと思っていて。「エロいな」と思うとか、セクシャルな感情が。でもそれって、もとを辿れば人間がいるだけで発生してしまうことなんですよね。そのバランスを、感じる本人がコントロールすることがおもしろいと思ってて。

 

——自分の中で線引きしていく、ということが?

 

はい。「これはエロい」「これはエロくない」っていうジャッジには、かなりのグラデーションがあって。99パーセントのエロさを排除しても、1パーセントは残ってしまう。じゃあその1パーセントには何が入っているんだろう?っていうのは、人によって違うと思うんですけど、要素自体はゼロにはならない。ゼロにしようとも思わないし。

それを言い切れないグラデーションの中で、NYOTAIMORI TOKYOはどういうスタンスをとるのか?みたいなところを考えていたいですよね。

 

——現状だと、どんなものを「エロい」ととらえていますか?

 

うーん……SM好きな人とかは超純度高いなと思いますね。自分のポイントを知っているっていうことだし、それって自問自答をちゃんとしているっていうことだと思うので。葛藤というか、たくさん考えなきゃいけなかったはずなんです。「どうしたら、自分の性欲は解消されるのだろう」って。

たとえば踏まれるのが好きとか、ビンタされるのが好きとか、いろいろあると思うんですけど。でもちゃんと、絶対に当たるパチンコ台じゃないけど、もうここを押せば絶対に当たる!みたいなのを心得ている。すごくいいなと思います。

 

——突き詰めて考えている、純度高い人のみが得られる快感。

 

そうですね。何となくAVを観てやり過ごす……というのは人間として惰性であると思うんですけど。観るなら、自分にとってのヒットを見つけていかないと(笑)。SM好きの人とかって、狭き門をくぐらないといけないからめっちゃ考えているわけですよ。「女王さまにこれをされたい、こうされないと嫌だけど、でもそれは言えないから、こういうふうに持っていこう……」とか。すごい考えてヒットさせにいっているから労力もかかるし。マジだなって思いますね。

 

——リスペクトですね……。

 

エロに対しても、何に対しても、自分を理解する努力をしているのっていいですよね。超マジだから、そういう人たちはマジなものと出会い続けていけるんでしょうね。そこでバシバシとぶつかり合っていくからこそ、必然と生きるバイブスが高まるんだろうなって思います。

 

 

Top image: © NYOTAIMORI TOKYO


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