理性と本能、その矛盾が生み出すもの。清川あさみ×中野信子 対談インタビュー


「エロティシズム」は、人々の妄想を掻き立てるもの。
 
そこに宿るファンタジー性は、人間の可能性を切り拓く創造力、そして想像力を大きく高めてくれる大切な要素なはず。この特集では、エロスとファンタジーの密接な関係について、様々な舞台で活躍する「表現者」にオープンマインドで語っていただきます。
 
第2弾は、アーティスト・清川あさみさんと、脳科学者・中野信子さんの対談インタビュー。一見、まったく違う場所にいるふたりにとっての「フェティシズム」とは?そして、人間の脳と芸術に実は密接な関係がある「エロス」とは? 私生活でも親しい関係にあるふたりだからこそのトークがここに実現しました。

清川あさみ(きよかわ あさみ)

淡路島生まれ。2001年に初個展。2003年より写真に刺繍を施す手法を用いた作品制作を開始。水戸芸術館や東京・表参道ヒルズでの個展など、展覧会を全国で多数開催。代表作に「美女採集」「Complex」シリーズ、絵本『銀河鉄道の夜』など。最果タヒとの共著『千年後の百人一首』が発売中。11月21日より、本書に掲載されている原画が、京都の両足院 建仁寺山内にて初公開。

中野信子(なかの のぶこ)

脳科学者。東日本国際大学教授。東京都出身。東京大学工学部卒業。同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から2010年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。著書に『脳内麻薬』(幻冬舎新書)『脳はどこまでコントロールできるか?』(ベスト新書)『サイコパス』(文春新書)『科学がつきとめた「運のいい人」』(サンマーク出版)ほか。脳や心理学をテーマに研究や執筆活動を精力的に行っている。

社会と「距離があるところ」が
ちょっと似ている


——今日のインタビューは、どうしても自身の趣向やフェティシズムが絡んでくるお話になるので、まずはおふたりが、それぞれの活動をするに至った経緯について伺いたいです。清川さんはなぜ、代表作品『美女採集』を作り始めたのでしょう?また、制作していくにあたって、自身に大きな影響を及ぼすものはなんですか?

©AsamiKiyokawa

美女採集 <杉咲花×ツバメ>

『美女採集』ー 女優やモデル、ミュージシャンなど、社会で活躍する“輝きを放つ女性”を撮影し、その人の内面や本質的な部分を動植物に見立てて、写真に刺繍をする作品シリーズ。

 

清川 日常の中で感じる、ちょっとした「ズレ」みたいなものがわたしの一番の制作の根源になっていて。それが作品のヒントになるし、コンセプトでもあります。普通に生活をしている中で、自分とは違う環境で違う生き方をしている人たちに触れることによって、社会に対しての疑問とか「ゆがみ」みたいなものがいつも必ず生まれてくるんです。

 

©AsamiKiyokawa

美女採集 <二階堂ふみ×コブラ>

 

清川 例えば『美女採集』だと、最初はただ単に「美しい人を採集したい」っていう気持ちから始めたのですが、今度は自分がその人を採集する理由とか、なぜ自分はその人に対して「美しい」と思うんだろうということを考えていくようになって。

その人の声や、家庭環境や、におい、たたずまいなどから、その人と社会の関係性まで考えるようになりました。結果、その容姿だけでなくトータルのバランスが自分の中で響く人というのが、私の中では「美しい」と思う人になっていくんです。

その人が発する何かやその裏側には、自身の生活環境だったり背景があるはずで。そのストーリーに一番興味があるし、全体のバランスが面白い人に惹かれますね。そういう人を採集していきたいなと思うんです。

 

——ありがとうございます。一方で中野さんには、脳科学者になられた経緯を伺いたいです。

 

中野 そんな大した話ではないですよ。子どもの頃、わたしはずっと生きづらさを感じていたんですね。詳しいことは省きますが、ざっくりいうと、自分は問題ないと思っているんだけれど周りの人からは変だと言われるわけです。

変だと言われてしまう理由はきっと脳にあるわけだから、その原因を突き止めなきゃと思っても、当時はまだそういう本すらない。神経科学の本や医学書はあるけれども、健康でいながら他の人と少し振る舞いが違うのはなぜか?という部分はまだ空白なんだということを知りました。これは自分でやらなきゃいけないんだと思ったんです。

 

——脳科学者とアーティスト。一見遠い場所にいるように見えるおふたりが、親しい関係になったのは、なぜなのでしょう?

 

清川 信子ちゃんには自分と似た部分を強く感じていて。たぶんそれは、孤独と向き合った部分だったりとか、社会に対して矛盾を感じている部分とかで。本質的に見ている視点がすごく自分と近いところにある気がしているんです。だからか、一緒にいるとすっごい落ち着く(笑)。

 

中野 社会とちょっと距離感があるんですよね。あさみちゃんはとても器用なところがあって、社会と距離がありつつも折り合っていく方法をうまく編み出しているんですけど。私の場合はなかなか難しくて、ぶつかりながらやっている感じですね。でも「社会と距離がある」感じというのが、お互いに近さを感じているところなのかもしません。

 

「美」の追求には際限がない


——たとえば『美女採集』のような作品を作るときは、人間に対してイマジネーションを膨らませる作業があると思うんですけど、
脳科学って……ある種、そのファンタジーとは反対のところにあるというか。とても曖昧なものに対して結論を出す、というイメージがあるのですが。

 

中野 それは、わたしは受験勉強というものの弊害だと思っているんです。本当の科学はそうじゃないですよ。結論が出たと思っても3年後にそれを否定する論文が出たり、またそれに対して批判があったり。科学は鍛錬されていくものなんです。今ある理論でも仮説にすぎないものってたくさんあって。

はっきりとした答えが出るものだと多くの人が錯覚しているのは、「答えが一意に定まっている」テストを受けてくるからですね。特に理科系の科目ってそうですよね。でもそれは、先生が点数をつけやすいようになっているだけなんです。

 

——じゃあ言ってみれば、「仮定する」という意味でのイマジネーションが、めちゃくちゃ必要ということ?

 

中野 そうですね。いい仮説を立てられない人は、いい科学者にはなれないと思います。

 

清川 そういう意味では私も同じかもしれない。つねに誰かに対して、自分が持っている情報をアップグレードしていくっていう感じ。例えば「この人の手がきれいだな」と思ったら手の美しさだけに惹かれているわけだけど、今度は「この手に何かがついていたらもっといいかな?」と思い始めて、またイマジネーションを膨らませていく。そのストックがファンタジーにつながっていって、そのファンタジー性にみんなが癒やされているのかなって思うんです。

 

中野 ちょっと急にエロ話になりますけど……(笑)、写真家のロバート・メイプルソープ。彼は、美しい男性器を求めていろんな男の人を渡り歩いたと言われていますよね。本当に男の人とセックスをしたかったのかもしれないけど「美しいものをとらえたい」が先なのか、性的欲求が先なのかはわからない。でもああいう素晴らしい作品をつくれたのは、「美しい」と思う気持ちが先にきているからなのかなと思っていて。

 

清川 そうですね。私もそっちの考え方かもしれません。性的なものっていうだけには結び付けられなくなってきていますね。もちろんそういう要素はあっても、もう次の段階に行っちゃっているというか。

 

中野 「美しいもの」を前にしたら、もちろんセックスは楽しいけど意外とそれもバリエーションがないというか(笑)。どんなに変態とされていることでも、ほとんど既知の類型にあてはまっちゃう。たとえば「またSMかい」というような……。あなたの「変態」ってこの程度か……みたいな感じになるじゃないですか。一方で、「美」は際限ないんですよ。

 

清川 アートって、今自分がいるところからちょっと先にあるものを表現していくことだと思うから。そういう意味では、本当に際限のないものなんですよね。

 

人間の「理性が生まれる前」に興味がある

 

——「今自分がいるところからちょっと先にあるもの」を求めるとは、どういうことでしょう?

 

清川 わたしの場合はそもそも「どうして男女が生まれたのか?」とか「なんで社会ができたんだろう?」とか、そこまで遡って考えてしまうんですよね。人間の理性が生まれる前に起きたことにも興味あるというか。

神話とか歴史の起源までたどると、エロスを感じる本能的な状態が普通だったりしますよね。そういった根源的な部分について考えるのが楽しかったりして。そこに答えがあるのか、ないのかは分からないのだけど。

 

中野 いや、でもおもしろいよね。だいたい神話ってそうですよね。「そういうこと」を連想させるものが多くて、それが人間の関心事として非常に大きかったということが間接的に分かる例だと思うんです。とてもエロティックな逸話ばっかりで。

 

清川 あくまでも逸話だけど、本当に面白いですよね。ヴィーナスは男性の生殖器から生まれているという話とか。海に落ちた天の神のそれと海水が交わってできた泡から生まれたのが、愛と美の女神ヴィーナスだったと言われていて。それで「理想の女性像」とされているんですよね。彼女の仕事は、欲望を掻き立てることだったんです。

 

——なんか……「エロって恥ずかしい」とか、もはやそんな次元の話じゃないですね(笑)。

 

中野 そうなんですよ(笑)。今のエロティックなコンテンツも、現在進行形だから私たちは「恥ずかしい」という感覚を持つけど、200年後には今の春画展みたいに見られるようになるんじゃないかな?あれも、何百年かの時を経て文化的なコンテンツとして認知されてきているわけですから。いつか「21世紀には『FANZA』というものがあって……」と語られる日がくるかもね(笑)。

 

清川 この対談もいつか、今の春画展のような形になって残ったりするのかな(笑)。

 

「性」の在り方について考えるのは
クリエーションのヒントになる

 

中野 性的な話をする時、今はLGBTの議論がよく語られるじゃないですか。ギリシャの話にまた戻るんですけど、古代ギリシャの哲学者であるプラトンの『饗宴』という本の中で「アンドロギュノス」という存在が出てくるんですよ。

「アンドロ」は、男性(男性器)、「ギュノス」は、女性(子宮)という意味ですね。要するに両性具有の完全な人間というのが理想の姿とされていて、今の私たちはその半分なんだということを主張しているんですよね。その半分どうしが出会うときが、恋に落ちるということなんだと。それは男と女の組み合わせかもしれないし、男と男の組み合わせかもしれないし、女と女かもしれないんですよ。だからべつに、同性愛というのを特に否定するような世界ではなかったんですよね。

 

清川 相当ロマンティック。両性具有って、本来の人間の姿なんじゃないかなって思うときがあります。究極のピュアというか。

 

中野 そうだよね。精神医学者のフロイトは「女はペニスを持って生まれてこられなかったから男に嫉妬している」という理論で読み解いていくんですけども。逆向きの感情もあり得るんじゃないかなと思うことがあります。もしかしたら男性だって、自分が子どもを産めない存在だということについて「俺って一体何なの……? 俺にはペニスだけか……」と思っている人もいるんじゃないかと(笑)。

たとえば妊娠している状態の女の人というのは、オキシトシンというホルモンに裏打ちされていて他の個体よりも攻撃的になったり、妊娠前より強くなった感じがしたりすることがあるんです。そう考えると、男の人の寂しさ……というかね。そういうのは、女の人も受け止めるべきところもあるかなという気もするんですよね。

 

清川 でも本当に両性具有の話じゃないけど、今は多様性が普通の世の中ではあるから、エロスや裸に対しての考え方は、時代もそうだし、人によっても国によっても違うんだなというのを最近強く感じていて。それについて考えたりすることがクリエーションのヒントになったりもします。歴史上の人物はほとんど、ヌードやエロティックなものを活動の題材にしていますもんね。

 

中野 みんな、本当に好奇心旺盛ですよね(笑)。

 

「それ」は、本当は
極めて人間の本質に迫るトピック

 

中野 「エロス」といわれて真っ先に思い浮かぶ名画は、オルセー美術館に飾られている、クールベの『世界の起源』という絵です。女性の足が開かれて、黒い陰毛で覆われた局部がドーンと描いてある油絵なんですけど。150年の時を経て、つい最近その部分が誰のものだったのかフランスの歴史学者が突き止めたんです。依頼者の愛人だったんですけど(笑)。

 

清川 そういう関係だったのね、っていう話になったんですよね(笑)。

 

中野 こういう話題を、私たちはわりと平然とするじゃないですか。たった150年経っただけで文化的な話にできるんです。当時はもう大スキャンダルですよね。今の時代にも、こんなことがあったらもう大変なことになると思うんだけど、23世紀くらいには「こんなことが21世紀のはじめにあったんだね」とか言われるのかなって。

「エロス」って、私たちの気持ちをとにかくざわつかせるものなので、隠さなきゃいけないものだと思われてしまいがちですけど。本当は極めて人間の本質に迫るトピックであって。もちろん恥ずかしいものではあるんですけれども、だからといって社会からその香りをなるべく消してしまおうとするのは……

 

清川 無理がある!(笑)。私も以前展示をやった時に、ポスターに女の人の裸のような写真が載っているからという理由で、ある場所では掲示ができなかったことがあったんです。結果、デザインでより効果的にする方法をとったのですが。

 

中野 たしかに、あからさまな言葉をところかまわず言っていいのか?となるとそういうじゃない。じゃあ昔の教養のある人たちはどうしていたかといったら、やっぱり人前では話さないけども、気心知れた人たちの間ではそれと分かるように、符丁やメタファーを使って品よく淫靡にやりとりしていたんです。それこそ百人一首とかもそうでしょう。

その中に文化もあったし、エロスというのは大人のたしなみのひとつであったわけですよね。子どもはそれに触れることができないから、その世界にまた魅力を感じるわけで。

 

清川 今は、ちょっとあからさまなものが多いんですよね。

 

中野 そう。「大人っていいな、魅力的かもしれないな」と想像したり、空想をするということが大事ですよね。いろいろな言葉や文化で複層的に半透明にされていることにも価値があるのかなと。「エロいからダメ」と排除しようとしてしまうの短絡的で貧しいですよね。もっと、豊かな言葉で美しくエロを語りましょうよって思います。

 

清川 信子ちゃんが言ったみたいに、ちょっと隠れているものとか、ポエティックなものに私もエロスを感じますね。あからさまな体を見たり、そういう行為を見てどうとかっていうのもひとつの楽しみ方だけれど、違う部分にも「エロス」ってあるんじゃないかなと思っています。隠れている部分を想像することによって感じるものというか。

 

中野 女の人の体が美しいとかエロいとか、そういうのはもういっぱい見すぎてしまって……。それよりもっとその裏側にある状況、言葉、空気、においとかそういうものに興味がありますね。男の人から見るとどうなのかな。生の胸がバーンとあるより、ブラジャー付きの胸のふくらみや、谷間のほうがエロティックじゃないですか?(笑)。

 

清川 全部出てしまったら、それはゴールですもんね(笑)。

 

中野 俺がゴールにたどり着かせてやる!みたいな感じをそそらせてくれるものがいいというか。じゃないと「おなかいっぱいなのにまた弁当食わないとダメなのか……」ってなりませんか?(笑)。よっぽどお腹がすいている中学生や高校生は別ですよ(笑)。だけどもう大人で、おいしいお弁当もそれなりに食べてきて……という時にドーンと出されたら、あぁ……ってなると思うんですよ(笑)。

 

——最初のほうで、人間に理性が生まれて、矛盾を孕みながら社会生活を送っているという話がありましたが、そういうときにイマジネーションは逃げ道のひとつになるのかなと思ったのですが。

 

清川 はい。なので、私はもうその矛盾を種に作品をつくっています。

 

中野 私自身の最近の悩みは「逆にもうちょっと妄想しなくちゃ!」っていうこと。これをどうにか解消したくて、海に潜りに行ったりします。理性が肥大した私が生き物に戻るために。理性だけになると干からびていく感じがするんですよね。

エロを排除した社会というのもそれに似ている気がしますね。社会として干からびちゃうんだと思います。揚げ句の果てには少子化ですよ。背景は明らかではないけど、男性の精子の数も40年で半減したそうですから。だからもっと豊かな言葉で、美しくエロを語っていきましょう(笑)。

 

清川 やっぱり濃い対談になりましたね(笑)。

 

中野 濃かったですね(笑)。

 

清川あさみ『「千年後の百人一首」原画展 ー糸で紡ぐ、歌人のこころ」

清川あさみと、詩人・最果タヒが百人一首をテーマにタッグを組み話題となった書籍『千年後の百人一首』(リトルモア刊)。糸と布とビーズを用い、和歌の一首一首を、現代のものとして情感豊かに書きだされた100点の原画を、京都・両足院にて初公開。
会場:両足院 建仁寺山内
日時:2018年12月10日(月)まで。
入場:一般/1,000円 大学・中高生/800円 小学生以下無料

 

作品名『元良親王』©︎AsamiKiyokawa

Top image: © YUJI IMAI


DMM.R18 は、『FANZA(ファンザ)』に変わりました。
この名称には、「人間の持つ様々なファンタジー、妄想、幻想を、 AからZまで取り揃え提供していく場所」 というメッセージが込められており、 企業として「人間の妄想、幻想、想像力を最大限高める」というミッション を持っています。