“‐less” is more?——清水文太、ダイバーシティの「正しさ」を語る

「ダイバーシティ」は今、間違いなく時代のキーワードだ。

その多様性を担保しているのが、固定概念に対する“-less”(=〜ではない)の考え方だろう。例えばジェンダーレス(Genderless)は、「男/女はこうあるべき」という従来のGenderの概念に対する“-less”だ。

今、ダイバーシティというキーワードのもと、メインストリームに対するあらゆる“-less”が生まれている。

それはもちろん素晴らしいことだと思う。しかしその一方で、それが真のダイバーシティなのかという疑問も残る。メインストリームに対する“-less”は、ただの対立に終わる可能性もあるからだ。実際、SNSではマジョリティとマイノリティの罵り合いを簡単に見つけることができる。

そのなかで清水文太という人間は不思議な存在だ。仕事、性的指向、生き方——あらゆる面においてマイノリティ。しかし、どの“-less”の集団にも自分を委ねることなく、言ってしまえば、全方位に対して“-less”の姿勢をとっている。それは、ダイバーシティにおける個人の理想的なあり方なのではないか。

ダイバーシティにおける、清水文太の思想。そして、ダイバーシティを1歩でも押し進めるために、私たちは何ができるのか?

2018年3月。少し前だが、本人に会って話す機会があった。

このインタビューは、その時の記録だ。

みんな、
違う正しさを持ってる。

©Ari Takagi

 

——今日はダイバーシティについての話を文太くんとしたいなと思っているんですが、去年100BANCHで行われた「高校生が考える『生き方のダイバーシティ』」のイベントにゲストで出ていましたよね。


はい。みんなすごく考えていましたよ。俺なんて「ダイバーシティ」と言われても、先にお台場が出てくるくらいだったのに(笑)。


——確かにそっちのほうがなじみがある(笑)。こんなにいろんなところで聞くようになったのは最近ですしね。でも、前に久志(尚太郎/TABI LABO代表取締役)との対談で「やわらかい世界」という表現をしていたじゃないですか。あれがまさにダイバーシティということだと、私は思っていて。


うん、そうですね。


——文太くんは、ダイバーシティという概念に対してどういう感覚なんですか。


全員のことをわかった上で生きようじゃなくて、わかる人もわからない人も両方いるということをわかった上で、生きやすい世の中を作るっていうのが一番だと思う。「みんな平和に生きよう」と言っている人、余裕がなくて「平和」とか考えられない人、「外国人出ていけ」とか「同性愛者いなくなれ」とか言う人、それに生理的にどうしても「同性愛者って気持ち悪い」と思ってしまう人もいる。だから否定はしかたないと思うけど、それを攻撃や戦争というかたちに表さないのが一番大事だと思います。


——「いろんな人がいる」という観点では、最近いろんなものが“-less”化してると思っているんです。それこそ、去年i-Dが『i-D Meets: Tokyo's Genderless Youth』という動画を制作していたけれど、ジェンダーレスという概念もそのひとつで。そういう時代の中で“-less”のマイノリティが承認されることが多様性だという感覚もあるけど、私はそれ自体が真のダイバーシティなのかと考えたときに——。


そんなわけないじゃんって思う。もちろんあの動画は、ジェンダーレスというトピックにフィーチャーした構成だから、ダイバーシティについて話してるわけじゃないけど。


——そうですね。


ジェンダーレスであったって、もちろんそのカテゴリーの人たちが受ける差別もあれば、逆に差別を与えてしまっている場面もあるだろうと思ってるから。


——マイノリティに名前がつけば、市民権が得られて生きやすくなったりするじゃないですか。でもそこでメインストリームに対してカウンターをとるだけでは、結局対立構造でしかないのでは?と。


そう、批判が重なっていくだけなんですよね。マイノリティがマジョリティ、あるいは別のマイノリティを批判するのって、言ってみれば俺たちがされてることと同じことしてるだけ。「もっとやり方はいっぱいあるんじゃないかな?」っていうことは、結構考える。

俺も、ジェンダーレスの人たちも、政党も、社会も、みんな違う正しさを持ってる。それぞれが「これでいいのか」「将来どうなるんだろうか?」っていう不安を抱える中で、カテゴライズされてどこかに属することができればやっぱり安心するだろうし、自分と違う人たちを色眼鏡で見てしまうのもしかたない。だからこそ、そういうことが起こるとわかった上で補正しながら生きていかないとと思ってる。そうじゃないとダイバーシティというものは一生進まないと思うから。


——ちなみに、私的には今日のこのインタビューのテーマ、「清水文太とは真のダイバーシティの人間である」なんですけど。


いやいや、俺はそんな大それた人間ではないです(笑)。


——でも、いろんな背景をもったいろんな人がいるとわかった上で「補正していく」という課題解決へのフォーカスって、ダイバーシティの考え方だと思うんですよ。わかりやすくいうと、アメリカみたいに明らかにいろんな背景を持った人がいる国ではむしろ課題解決にフォーカスするしかできないだろうし。


「みんな違うのが当たり前でしょ」から始まるから。日本だと「みんな一緒なのが当たり前でしょ」から始まりますよね。


——文太くんは、どうやってその考えにたどり着いたんですか。


やっぱり、自覚してるから。社会的に見れば自分は普通とは違う。俺は自分のこと普通だと思ってるけどね(笑)。今の話でいうと、日本と海外だと差別の仕方がちがうっていうか——イタリアに行ったとき、ホテルのポーターさんが全員アジア人だったんです。でもセキュリティは黒人で、ほかのフロントとかは白人で。そういうのはよくないことかもしれないけど、なんか、わかりやすい。だからみんな違う立場で生きられるけど、日本はみんな同じような格好、同じような感じで生きるのが当たり前だよねみたいなところがあるから、そういう点では全然違うんだと思う。

あと経済格差も全然違うだろうし——まあ俺も貧乏な生活してたけど、向こうはわかりやす過ぎるところもあって。まあ、差別はどこにでも起こることだから、そういったものをそれぞれどうやって回収していくかですよね。

 

ある時、思ったんです。
「あ、俺、大丈夫だ」って。


——今、いろんなアーティストさんのスタイリングのお仕事してるじゃないですか。


そうですね。


——たとえば、チームの中で意見が対立した場合はどうやって課題解決へ向かうんですか。


俺ははっきり言うし、同時にはっきり言われるかも。「こうしたほうがいい」「いや、俺はこういうのがいいと思う」ってちゃんと話し合う。自分たちでいいものを作るということは、やっぱりお互いの正しさ——という言葉があってるのかわからないけど、でも、そういうのをぶつけるんじゃなくて、どう交わらせるかを考えなきゃいけないから。


——あくまでいい作品のためで、別に忌み嫌って言ってるわけではないとお互いわかっているだろうし。


そうそう。だから話し合いを繰り返していく。「どっちも正しいよね」っていう概念の中でやってる。


——そういうコミュニケーションをとれる、とってもいいんだって思えたターニングポイントはあるんですか。


水曜日のカンパネラのスタイリングもそうだけど、うーん……中学校の頃の同級生と、5年ぶりぐらいに会ったんです。そのとき「あ、俺って今大丈夫だ」と思って。


——というと?


俺、中学校時代はすごく暗かったし、病んでたし、いろんな人に迷惑かけて——その時の同級生なんですけど、一番迷惑をかけた人で。ちょっと詳しいことは言えないけど(笑)。


——わかりました(笑)。5年ぶりに会ってみて、どうだったんですか。


わりと普通に喋れたしご飯も行けたし、今も連絡とっていて……「あ、俺は今それができるようになったんだ」って。


——案外自分が思い込んでただけだったんだな、っていうことなんだ。


そう。「俺、あの時ひとりじゃなかったんだな」とか「友達いないわけじゃなかったな」とか……大変だったけどね(笑)。でも意外と大丈夫なんだって気づいて、そこからコミュニケーションとかは変わってきた気がする。そこから広がったかもしれない。

普通の人なんていない。
人はみんな、マイノリティだと思う。

©Ari Takagi

 

——文太くんを真のダイバーシティの人間たらしめているものは、課題解決にフォーカスする力と、あとは理性の部分だと私は思っているんです。私たちは「平等」といわれたときにあらゆるものを5:5にすることが正解だと思いがちだけど——。


そんなのあり得ないですよね。俺も社会的にはマイノリティだし、そういう人を生理的に「無理だ」と感じる人に言っても伝わらないこともあるし。バーバリーがLGBTQのコレクションを出して、男同士のキス写真が出たときも、やっぱり叩く人はいたじゃないですか。

 

 2018年2月14日、CONDÉ NASTが立ち上げたLGBTQプラットフォーム「them」内の記事『We Dressed LGBTQ+ Couples in Burberry's Epic New Rainbow Collection』にて、バーバリーのレインボーチェックのアイテムを身につけたLGBTQカップルが掲載され、話題となった

 

——もちろん、マイノリティが不当に虐げられるのはよくないけど、5:5以外の選択肢が出てきたときにそれを切り捨てず、必要に応じて選びとるには理性が必要だと思っているんです。で、文太くんは理性と感性の取り扱い方みたいなのがすごく上手だと思っていて。


そうですか? 俺激情型です、結構(笑)。


——そうなんだ(笑)。


うん。この前も「このヤロ————!!」って思うことがありましたよ。しかも態度にも出てる気がします(笑)。


——(笑)。でもそれは、そういう部分もあって、でも理性的なところもあってっていう話だと思うんですよね。文太くんは、小さいときから「自分はマイノリティだ」と思ってきたんですか? 例えば教室での立ち位置は——。


変人ですね。


——変人?(笑)。


すごく変人。友達もずっといなかったし、いじめられてたし……今よく考えてみたら意外と友達もいたかも?とは思うんですけど、当時は「俺なんかに友達がいるわけない」って、すごく狭い世界で生きてたから。


——今は?


今は、なんてことない、地球上に存在する70億人の中のひとりだと思ってる。


——普通の人、みたいな。


でも、普通の人って存在しないんじゃないかな。僕は、人ってみんなマイノリティだと思う。だから誰かを好きになるとき、性別で見るんじゃなくて、その人自身を人間として好きだなあと感じることが多いんですよ。素敵な人は、男女関係なく好きになる。


——「自分はマイノリティだ」と思って孤立していたときから、「自分を含むみんながマイノリティだ」という考え方まではかなり飛距離がありますよね。
そういう考えになったのはいつ頃からなんですか。


最近かもしれないですね。中学生の頃とかは、考えも浅はかだったし。


——まあ、中学生ならたぶん普通だけど(笑)。


(笑)。必死で、何も考えられなかったんですよね。でも今はそういうことも考えられるようになって、無駄なところまで見て——でも、無駄なことなんてないと思ってるから。


——スタイリストの仕事でも、「かわいい」「美しい」という感性的な部分でする部分と、「美しいだけじゃいけない」みたいな考え、あるいは他人と一緒に仕事をする上での理性的な部分もありますよね。それこそさっきの「言うべきことは言う」という姿勢もそうだと思うんですけど。


うん、そうですね。


——理性と感性という両極なものを、自分の中ではどう扱ってるんですか。


今こういう仕事始めて、去年は水曜日のカンパネラのツアーでも衣装を担当して、いろんな場所に行ったりいろんなものを見れたりしたことが大きくて……なんだろう、片方の面で考える必要はないなと思ったんですよね。だからバランスをとるようになったんだと思います。

いろんな人たちを10人くらい集めて、
対談する企画をやりたい。

©Ari Takagi

 

——政治や商業活動において、権力がある側にLGBTQやフェミニストという存在が利用される場面もあるじゃないですか。


使われがちではありますよね。


——文太くんはまさにマイノリティ側として、そういうシーンをどう見ているんですか。


俺は、別にいいかなあと思ってる。そういうやり方もあるんじゃない?って。でも自分からはしないな。


——というのは?


もっとやり方があるなとか、やり方が違うなって思うときはいっぱいあります。男同士のキス写真をバーンって出すことは、「こういう人もいるんだよ」と伝える意味においてひとつ大きいことだと思う。でも、「ゲイってみんなそうなんだ」と思われるとキツい部分はあると思います。立ちふるまいは男っぽい人とかもいるじゃないですか。


——マスメディアが作り上げた、ステレオタイプなゲイ像ってありますよね。


報道の仕方によって、女装家の人たちがそのマイノリティの象徴みたいになりがちだけど、めっちゃ普通な人もいるはずだから、絶対。前面に出ている人たちだけがフォーカスされると、そうじゃない人たちが陰に隠れて、それがやっぱりつらいことだなあと……かわいそうというか、疲れちゃうだろうなって。

例えば、普通の男の人が「ゲイなんです」って当たり前みたいにしてる社会にできたらいいと思うんです。わかりやすい人たちだけじゃなく、「よくよく話を聞いてみたらそうだった」くらいな人とか……そういう感じがいいんだよな。地域にもよるけど、外国のテレビとかはそれが普通なところもあるし。だから、もっと違うやり方を模索できたらいいなって思いますよね。


——それってダイバーシティの実現にも繋がってくる話だと思うんですけど、文太くん的な「違うやり方」って具体的にはどういうこと?


俺は将来的に、例えば本を作って、いろんなセクシャルマイノリティの人たちとか、普通の会社員の方とか、JKとか、デザイナーとかを呼んで、10人ぐらいで対談する企画をしたいと思ってて。


——それおもしろそう。


同じ考えの人だけ呼んだって共感するだけだしね。俺がファッション業界で働いて、この世界では普通だと思っていることでも一般社会からしたら普通じゃないところがいっぱいあるように、「こういう人たちもいるんだ」っていう素直な感想だって、きっと普通だし。それを垣間見ることができる場所や機会があるのはすごいいいことなんじゃないかなあと思って、俺はそういうやり方をしたほうがいいと思ってるんですよね。

「傷つく」という概念があることすら、
俺たちは恵まれてるんじゃないかって。

©Ari Takagi

 

俺、中島みゆきさんの“Nobody Is Right”がすごく好きなんです。あとあいみょんとか、尾崎豊さん、アンジェラ・アキさん、amazarashiも——ああいうこと歌ってる人が好きかな。


——「ああいうこと」?


人生とか、生きることを真面目に考えて、もがいてる歌。あと、ジブリも好きで、最近『千と千尋の神隠し』の“いつも何度でも”を聴いて「確かにそうだよなあ!」って——。


——あ!このInstagram(取材の前日に更新されていた投稿)、そういうことか!

 

 

そうそう。過ちを犯したときに《ただ青い空の 青さを知る》って……うん、やっぱり一番大事なものって自分の奥にあるものだなって。それはもともと自分に中にあるものだし、忘れちゃいけないなと。なんかそういうことを何度か考えたりすることはあって。


——それを思い起こすきっかけになったんだ。それにしても、ひとつ何かがあるとシャキシャキシャキーン!ってたくさん考えが巡るんですね。


そうかも(笑)。俺はすごくアンテナを張っている部類ではあると思うけど、それで疲れるというよりは、「俺はここで生きてる意味あんのかな?」っていう方向に考えがシフトするんです。俺が生きてるのは、たぶん、今生きる理由があるから。


——「生きる理由」?


うん。そういうのすごい考えます、昔からずっと。ご飯を食べていても、生活していても、俺って誰が作り出したものなんだろうかって。考えない人がいてもそれは全然いいんですけどね。


——文太くんは考えちゃうんですね。


例えば好きな男の子がいたとして、その子がストレートだったら「俺は別に悪いことをしてないのに、なんでその人が俺のことを生理的に無理な状況に陥るんだろう」とか、神様はどういう意味で俺やこういう状況を作り出したんだろうとか、じゃあみんなバラバラな理由ってなんなのかなあ?って。


——どういう理由だと思う?


俺は、「こういう人たちもいるんだよ」ということが世界におもしろみを与えてるから、みんなバラバラなんだと思う。みんな一緒だったらつまんないし、「傷つく」という概念があることすら俺たちは恵まれているんじゃないかって。だから俺たちは数十年とか生きて——もちろん戦争とかで死んでしまう人もいるけど。


——なんか、考えるのが好きというよりは、考えずにはいられない人なんだなあと聞いてて思います。


そうなんですかね、わかんないけど(笑)。


——同時に、そこまで「生きる」ことを考えるのって、たぶんその対極にある「死ぬ」ことも同じくらい考えたことがあるからじゃないかと思うんですけど。


あんまり大声で言えないけど(笑)、俺はたぶん3回くらい死にかけてるから。


——多いなあ(笑)。


まあ(笑)、その中で生きたくても生きられない人、生きたくない人、いろいろいるのはなんでだろうとか、また考えたりね。俺だって死にたいと思うときもすごいあるけど、もう少し生きてたらいいことあるのかなあと思って生きてる。別にこの世界は全員が悪いわけじゃないし、いいこともあるし、それが人生だし、もうちょっと生きてみようかな、みたいな。


——まだ理想的なかたちで実現してはいないけど、「やわらかい世界」っていう文太くんなりのダイバーシティの考え方に、文太くん自身が生かされているような部分もあるように聞こえますね。


うん、そうかもしれない。その中で俺は、スタイリストとか、最近ではZINE(『色』)を作ったりできていて、求めてくれる人がいて、幸せだと思ったりしてて——たぶん何かしらの意味がある。だって俺たちみんな、まだ死んでないからね。

 

Top photo: © Ari Takagi

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。