オックスフォード大での「自己紹介」で感じた日本との違い

多くの課題を抱えながらも、英国の経済状況はここ20年間右肩上がり。人口や資源において優位とは言えないはずのこの国が、なぜ国際社会においてこれほど高い地位を維持できるのでしょうか?

書籍『現役官僚の滞英日記』(PLANETS)の著者である現役官僚の橘宏樹氏が、自身が名門大学で過ごした2年間の滞英経験をもとに、英国社会の"性格"に迫ります。

第6回となる本記事は、オックスフォードでの大学生活で覚えた「ある違和感」について。

※前回の記事はこちら

「一応、哲学やってます(照)」

オックスフォードの人々は、「人文系軽視に怒る」にとどまらず、「哲学・歴史を学ぶことは普通よりちょっと素敵であると思っている」ようにも感じられました。非常に微妙なニュアンスであり、あくまで僕が交流した範囲での印象論ですが、もう少し具体的に描写したいと思います。

まず、学生同士は初対面で自己紹介を交わす冒頭、必ずと言っていいほどお互いの専攻を聞くわけなのですが、概して理系の人たちは、社会科学系の人には、「ふーん、おもしろそうね。興味深いわねー」というリアクションをとります。いたって普通です。

でも哲学・歴史系の人に対しては、「(きゃ or おお、かっこいい)」という表情、そして時には「自分なんて実験してる(またはシャーレ覗いてる)だけのオタクだから……」という自虐交じりのリアクションまでとる、という違いがなんとなく見受けられるように思います。

哲学・歴史系専攻側も「はは。それほどでもないよー。あなたの学問だって興味深いと思うよー」というような、うっすら上から目線のリアクションがあるような感があります。この感じは、一時日本で槍玉に挙がったこともある「大学どこ?」「一応、東大です」に似ているかもしれません。

もっとも、この哲学・歴史がほんのり素敵扱いされていることを僕が過敏に感じ取ってしまうのは、僕自身が小さい頃は哲学や歴史が大好きだったのに「そういう専攻だと食っていけないよ」と教わったことを契機に無理矢理違う学部に入ったことからくる、こじれた感情があるのも否めません。

同じセリフでも、口にする学生のキャラクターもあると思います。しかし、少なくともロンドンでは、僕が通っていた学校のみならず他校でもこのニュアンスは感じませんでした。

ちなみにオックスフォードの哲学・歴史専攻者とその後のキャリアについて少し補足しますと、概して「オックス・ブリッジ」で哲学・歴史を専攻(しかもボート部かラグビー部で活躍)した後、シティの金融業に就職し、(一見儲からなそうな学問でも、むしろ人間性への深い理解ゆえに市場をしっかり読み解くことができて)成功する。

財を築き早期に退職して静かな郊外に住み、骨董集めや芸術など人文的趣味に耽溺する人生こそ、豊かで幸せな生涯である、というステレオタイプがイギリス周辺の国際社会には、なんとなく共有されているように思います。

もっとも今日の実際のシティでは高度な数学知識や金融工学・投資分野へのリテラシーが必要とされる点から理系出身の金融マンや経済学系の人材が大勢働いているのですが、それでもオックスフォードで人文系を専攻することには「物心両面で、豊かな人生を歩みそうなフラグ」としての機能はまだ生きているように思われます。

そして、人文系専攻者に示されるほんのりとした敬意は、「将来金融で金持ちになりそうなエリートだから」というよりも、「古そうで深そうなことにほど素直に憧れを抱く」また「そういう分野の学生の側も誇りを持って勉強している」という感覚が、この土地に集う知的な人々に共有されているからではないかと感じられます。

日本ではどうでしょう?

日本の学生が合コンで「哲学科です」と言うのと「法学部です」と言うのとでは、ぶっちゃけ、どちらがモテそうでしょうか?

橘 宏樹(たちばな ひろき)

官庁勤務。2014年夏より2年間、英国の名門校LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル・サイエンス)及びオックスフォード大学に留学。NPO法人ZESDA(http://zesda.jp/)等の活動にも参加。趣味はアニメ鑑賞、ピアノ、サッカー等。twitterアカウント:@H__Tachibana

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