キャットストリートから世界へ。デジタルPR稲木ジョージの履歴書

その男の名は、稲木ジョージ。

25歳のとき、アメリカンアパレル(American Apparel)の渋谷レディース店を世界一の売り上げ(全250店舗)へと導いた人物だ。現在、デジタルPRとして活躍の舞台をNYへと移した彼の経歴がトントン拍子というなら…。

が、人生はそうじゃないから面白い。彼だって。

「You never know(人生なにが起こるかわからない)」、ただの楽観主義的に聞こえていたジョージの言葉だったが、取材が進むうち徐々に説得力を増していった。彼が「原点」と位置付ける街、渋谷でロングインタビュー。

バイリンガルだけでは足りない。
過去の自分をいかに塗り替えられるか

アメリカンアパレルでの実績を携えて、ジョージがNYへと渡ったのは27歳のとき。ところが、自信を持って臨んだはずのPR会社でまさかの門前払い。誰一人会ってくれない。ようやく1社アポが取れただけでガッツポーズ。

人事の担当者が出てきてジョージにこう尋ねた。「NYで誰を知ってるの?誰と友だち?」いくら実績があろうが、そんなの関係なし…。

自分がこうなっていくだろうなという形が一向に見えてこない。これはまさに生き地獄!日本で培ってきたものがNYでは実在しないも同じ。

どこに向かえばいいか、次のステップがまったく見えない状況をジョージは近著『ニューヨークが教えてくれた、「自分らしさ」の磨き方』(宝島社)の中で、こう表現している。

マーケティング活動におけるデジタル施作の需要が高まるなかで、彼のような存在が決して不要だったわけではない。けれど、NYはコネ社会。人とのつながりで成功してきたジョージの行く手を高い壁が阻んでいた。

「『この人知ってます、あの人と飲んだことあります』そう自分が言ってしまったとき、すごく自己嫌悪に陥りましたね。実力ではなく、他人の名前を売っているようで…。何ができるかを問われるはずなのにね。コネクション作りの方が先。いつか見返してやるって、ずっと腹に思ってましたよ」

そうしてアメリカでもう1回、28歳インターンシップからの再出発。そこからのジョージの活躍は、ぜひ本の中で。

(職業)デジタルPR
日本と世界をつなぐ窓口

それにしても、デジタルPRという職業が今ひとつピンとこない。「あえてInstagramでは“遊んでいる感”を出している」と、本人はとぼけてみせるが、その実ジョージの活動は多岐にわたる。

「例えばハイブランドとの取り組みでいうと、ブランド離れしているミレニアル世代に対して、デジタルのパワーを使って訴求する方法を考えたり、インフルエンサーを起用してディレクションしたり。デジタルマーケットに向けてのPRストラテジーを考えていくのも仕事のうち。『これしかできない』っていうような専門性は、性に合わなくてイヤなんですよね。

とにかく、日本と世界とをつなぐ窓口になりたくて、グローバルブランドを日本に対してローカリゼーションすることにも注力しています」

アメアパ時代から染み付いたもの
リサーチは自分の足で

「SNSで情報を得るというよりも、リサーチの時はアシスタントの子たちと分担してSNSは網羅し、基本は歩いて探します。地下鉄やバスに乗って人々がどんなファッションしてるか、どんなメイクが流行ってるのか、どんな店に人が集まっているのかを実際に目で見て確かめる。

とにかく、どんなことにおいても
「無意味にダラダラ」ができない。

僕は何をしていてもONじゃなきゃいけないと思ってて、ベッドの中にいてもアイデアが閃けばすぐにメモをとって作業を始めちゃう。やっぱり新鮮なうちに動かないと。もう昔っからこうだから。

OFFのときって言えば、誰かと食事しているときくらいかな。意識的にスマホも見ないようにします。あとは1時間のピラティス。メディテーションもそうですけど、“無になれ”とかいうじゃないですか。あれ、僕には絶対ムリ。常に頭を動かしちゃう」

「リアル」が消えようとしている

主戦場をNYへと変えたジョージにとって、今の渋谷はどう見えているのだろう。自身「スタート地点」と捉えるキャットストリートを歩きながら、こんな質問をしてみた。

7年前といまの渋谷、何が違って見える?

「やっぱりアメアパが元気な頃は、キャットストリートも両側に店がズラーッとありましたよ。PARCOも派手だったけど、そういった派手好きな若い子たちがこのあたりの遊歩道に降りてきてたんです。100mあっても、今って20mくらいで切れちゃってるじゃないですか。でまた50m続くみたいな。こういうのがなかったなあ。

今でこそラグジュアリーブランドがこの裏通りにもバンバン路面店を出すようになったけど、ひと昔前のほうが街も人も元気だったような気がします。SNSが普及してみんなの中からリアルが消えたっていうか。つくりものの自分を演じてそれをアップして。昔の人たちは、それこそ今を楽しむことが大事だったんじゃないかな。僕はその感覚を忘れたくない」

移ろい激しい2つの都市を軽やかに行き来するジョージ。デジタルPRの最前線にいる彼が、フォロワーやライク数ではなく、足で歩いて見つけることにこだわり続ける理由に思わず膝を打った。

「リアルが消える」結局のところ、それがオリジナリティの崩壊につながるのかもしれない。

原点に戻ることで、“振り幅”を確認
今の自分の立ち位置を再認識する

原点と位置付けるキャットストリートで、7年前のジョージはどんな人物だったかを聞いてみた。これが、結構ヤバかった。

「全身アメアパでしょ?超短パンにタンクトップ、でハイソックスですよ。今やってたら完全にヤバい奴ですよ(笑)」

おどけてみせるが、話の最中もつねに右に左にジョージの視線は留まることがない。それが一番印象に残った。歩いている時でも無意識に道行く人のファッションを目で追い、修学旅行生が群がるショップに注目したり。“足で稼ぐリアル”が染み付いている。今回初めて訪れたTRUNK (HOTEL)にテンションが上がったと思えば、さんざん通ったというフードトラックの店主に気さくに話しかけたり。軽やかなバランス感覚も間違いなく彼の魅力だ。

You never know.
どんなことが起こるかは、誰にも予想できない。

こう語る一方で自分の中に湧き上がったイメージを確実に実現させるエネルギーの持ち主。「有言実行が永遠のモットー」は、ジョージの成功体験を知るだけでも、裏付けとして十分すぎる。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。