龍馬やペリーも飲んだ冷え性の味方

いよいよ寒くなってきて、今年も冷え性の友達のことを思い出している。彼女曰く、夜、足先が冷えて眠れないのがもっとも辛いという。世の中には様々な対処法があるけれど、今年は足元用ヒーターでも、分厚いソックスでもなく、先日広島で見つけたこんなお酒をおすすめしてみようと思ってる。

みりんで作るお酒
「保命酒」

このお酒、広島県・鞆の浦地方でかれこれ約350年以上前から飲まれている薬味酒で、みりんに肉桂やシナモンなど十六種の薬味をつけて造られるもの。ベースが、「みりん」。なんて聞くと、なんだかやばそう…と思うでしょ。ところがこれ、甘くて、少しとろみがあって、結構美味しい(多分みんなが想像しているよりもずっと)。

美味しさの秘密はまさにベースとなる「みりん」にあるとかで。みりんは、米麹の糖化酵素を使って掛米を糖化させて作られる。この時用いられる米麹を活性化させてやると、米本来の甘味や旨味(アミノ酸)を引き出すことができるという。

 

アミノ酸たっぷりの保命酒。お米由来の自然な甘さで美容や健康に良いとも言われ、ジュースで割ったり、アイスにかけたり、そしてレモンティーや葛湯と合わせて寒い夜に飲んでもよし。血行がよくなり、体もポカポカだ。

幕府はこのお酒で
ペリーをもてなした

保命酒は、江戸時代、大阪の漢方医「中村家」の子息である中村吉兵衛氏が、薬草の買い付けのため船で大阪から長崎の出島に出かけた。その際に立ち寄った潮待ちの港・鞆の浦で、地酒であった「吉備の旨酒(みりん)」に手持ちの薬味を漬けて作ったのが、始まりと言われているそう。

甘いものが手に入りづらかった当時、保命酒は嗜好品として人気に。のちに幕府への献上品となり、重要な客人をもてなすのに用いられたり、諸大名間での贈答用に使われたりもしたとか。

 

その代表が、ご存知・ペリー提督だ。ペリーさんが黒船に乗って静岡県の下田にやってきた時、当時の福山藩主であり幕府の老中首座でもあった阿部正弘公は、接待酒として地元の『保命酒』を振る舞ったという。

その際の記録は、静岡県伊豆の国市で幕末の貴重な史料を所蔵する江川文庫の「下田御用日記」を収めた本「江川坦庵全集別巻」に、ちゃんと残っているらしい。

あの銀山の人も
坂本龍馬も飲んだらしい

また、鞆の浦は、島根の世界遺産・石見銀山から出航する船が立ち寄る港になっていた。船に乗って出かけて行く人たちは、見送る人たちに「保命酒をお土産に買ってきてー」と頼まれたりもしていたとか。世界有数の銀山で働く人たちの、元気の源だったのかも。

 

他にも、海援隊が乗った大洲藩の蒸気船「いろは丸」が、紀州藩の軍艦「明光丸」と瀬戸内海で衝突し沈没したという「いろは丸事件」の際、損害賠償交渉のために滞在した鞆の浦で、坂本龍馬が飲んだという説もあったりして、保命酒は、これ日本の夜明けに貢献したのかもしれない(やや強引か)。

だからもしかすると、友人の悩んでいる冷え性の夜明けにも貢献してくれるかも…。そんなことを期待して、この冬、彼女に保命酒を贈ってみようかと思っているわけなのである。

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