登山初心者の僕が「仏モンブラン単独登頂」に成功できた理由

それは、ちょうど「山の日」(2017年8月11日)の出来事だった。

友人たちからの連絡が嵐のように携帯に届く。「ちゃんと生きてるか?」「どこにいるんだ?」「大丈夫か?」…すべては、僕の安否確認。僕は、彼らによってモンブランでの出来事を知ることとなった。

最後の“目撃者”となった僕

仏モンブラン 日本人男性が救助を要請(NHKニュース)

友人たちに自分とは別人であることを伝えた僕は、なんとも言えない後味の悪さに襲われていた。同じ日本人の登山者がモンブランで遭難している。そのニュースについて自分なりにどうしても調べてみたいことがあり、行方不明者の氏名が載ったその情報を元に、僕はひとり調べを始めた。

こうしてたどり着いたひとつの事実。全身に鳥肌が走った。

行方不明になったシモサワさんと…僕は会っていた。たまたま同じ宿で…そういえば廊下で挨拶をしたな。シモサワさんが山に向かう姿を僕はたしかに見ている。彼が宿を出た同じタイミングで、宿のオーナーから山の非常食の忘れ物があり、僕はそれを戴いたんだった。

もしかしたら、今シモサワさんが最も必要としているかもしれない「食料」を、この僕がすでに食べてしまった…。

急に吐き気が襲ってきた。胃袋の奥底に悪寒じみたものを覚え、血の気が引いていくのを感じた。 誤解を恐れずに言えば、この遭難に関わる重要なポジションに自分がいるのではないか。かといって、これから何をどうすればいいのかさえ分からない。

ひとまず僕はSNSで、「この方と同じ宿だった」旨を投稿。すると、直後にシモサワさんが最後に連絡をしたという「友人」から連絡が入った。

「同じ宿だったというのは本当ですか?」

それが事実で、どこの宿だったのかなど、シモサワさんの消息について、自分が知っていることを共有。事情聴取のためとフランス警察が宿にやってきたのは、それからほどなくしてのこと。ネットに情報を公開してから、わずか4時間後のことだった。

国を超え、個人や機関をまたいだ情報のやり取りが、こんなにもすぐになされるとは、正直驚きしかなかった。

この原稿を書き上げた現在(2017年8月28日)も懸命な捜索が続いている。

「自己責任」を狂わす
山だけが持つ魅力

山岳事故について日本のニュースに流れるものは、どこか淡白なものが多いように感じてしまう。が、その裏に悲しきドラマがあることは想像に難くないはずだ。

山岳事故の可能性というものは、基本動作の徹底で大きく軽減できると僕は思っている。シモサワさん自身の山の経験から察するに、決して山に対する知識が少なかったわけではないだろう。

事実関係を整理していくなかで、もしかしたら彼の日常と休暇とのバランスゆえか、時間に余裕がない状況で登頂に挑んでいたように僕には映ってしまう。

自分の達成したい「夢」と仕事との両立。

世間一般に言われる「自己責任」という言葉は理解しつつも、今回の件を間接的に関わった人間として、どうしても日本社会の働き方そのものに疑問を感じてしまう節もある。山という大自然を舞台に夢を追いかけている身として、日本のシゴト文化のなかで登山を続けるというのは、リスクも大きいと言わざるをえない。

登山経験が増え、山の深みにハマればハマるほど、「引き返す」という判断がどれほど難しいものであるか。それは山を経験したものでなければ、安直に言えるものでもない。

ただ、それでも山はどんな時も、最悪のことを想定し、万全の体制を期して望まなければならないというのは言うまでもなく、自分自身の戒めのためにも、この一件を僕は深く心に刻んでいる。

誰かの「意志」のうえに
僕らは生きている

たった一言、挨拶を交わしただけのシモサワさんという人物を深く知っていくうちに、今回、登山計画を立てているモンブランの山が、単なる登頂を目指すだけの目標ではなく、彼の意志を受け継いでアタックするべき山のように、今は思えてならない。

なぜなら、山での生活はそのくらい特別なもの。つねに死が隣り合わせにあり、日常の当たり前が山の上ではそうでなくなる。衣食住、生活におけるすべてを見直す作業は、ひとつずつ人生の目盛りや単位を振り返るような、石橋を叩いて渡る作業に近い。なおさら強烈にこのことを意識させられた。

これまで、モンブランには計3回登頂を試みている。1度目は春に雪崩の恐れから、2度目は強風のため引き返した。そして3度目の挑戦にして単独登頂によって、モンブランの頂に僕は立った。

登頂の瞬間、無意識に涙が溢れてきた。シモサワさんに思いを寄せることで、苦境でもまた一歩足を踏み出すことができたわけだから。日常のすべては、誰かの思いの上をめぐって、僕らは生きていることを強く痛感した出来事だ。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。