震災後の大地と、一緒に生きていくための「藍染め」

智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。

これは、高村光太郎の『智恵子抄』の中に収められた「あどけない話」という作品の一節。阿多多羅山とは、現在の安達太良山のことで、日本名百山にも選ばれた美しい山です。

智恵子に空を美しく見せたのは、その雄大な自然だけではなく、その麓で暮らす人々の営みの温かさ、自然と共生する生き方も影響していたのではないでしょうか。

そんな安達太良山を望む、福島県大玉村。美しい田園風景が広がり、自然と結びついた村でした。

しかし、2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う原発事故により、多くの水田が休耕地へと姿を変えました。

その休耕地で今、染料である藍を育て、智恵子が愛していた「ほんとうの空」を藍染めでつくるためのプロジェクトが始まっています。

「藍染」で村を
活気に

Photo by 竹内吉彦

大玉村は、もともと藍染めで有名な村だったわけではありません。震災後、稲作をやめてしまった畑で「藍を育ててみよう」という呼びかけで集まったさまざまな分野のメンバーからなる団体歓藍社(かんらんしゃ)がきっかけとなり、この取り組みは始まりました。

日本各地の藍師から伝授された藍の栽培は、2016年から本格的にスタート。

徳島や宮城、京都など日本各地で譲ってもらった藍の種を使い、長年農業を営んできたメンバーの試行錯誤によって、畑一面の収穫を果たします。

Photo by 竹内吉彦
Photo by 竹内吉彦

収穫した葉はそのままミキサーにかけて染め液にしたり、乾燥・発酵させて保存できる染料作りにも取り組んでいます。

日本では昔から各地で藍染めが行われていて、藍で染めることで布が丈夫になり、防虫抗菌にも役立つと言われていました。「歓藍社」は、そういった日本に昔からあった風景を一部取り戻す試みとしても藍染めをし、建築・デザイン・服飾・工芸・生態学など、様々な専門性をもったメンバーが集まり、それぞれの知識とセンスを活かした物作りを進めているのです。

2017年夏
「大玉村の小さな藍まつり」

「歓藍社」の活動が2年目に突入した今年、藍の成長が著しい夏に、今までの活動を報告するイベントとして開催されたのが「大玉村の小さな藍まつり」

大玉村だけに限らず、周囲の市町村から100名近い参加者が集まったそうです。藍染め体験のワークショップ、ファッションショーやドキュメンタリー映像の上映などを通し、これからの大玉村の可能性を感じてもらう機会となりました。

Photo by 竹内吉彦

プロジェクトは始まったばかりですが、

今はまだないけれども、近い未来の大玉村に当たり前のように存在する地域生活の風景を想像する

をコンセプトに、震災後の自然と向き合う生き方を確立するための「歓藍社」の挑戦は続いていきます。

かつて智恵子抄に書かれた「ほんとうの空」の色を作る大玉村の藍染めに、これからも注目していきたいですね。

Licensed material used with permission by 歓藍社
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