湯〜園地、シンフロは、なぜ愛されるプロジェクトになったのか。(前編)

インタビュー内容に入る前に、まずは2本の動画を見てもらいたい。

温泉でシンクロ、というビジュアルインパクトもさることながら
大分県の「音」を集めまくって編集したBGMも大きな話題に。

100万再生で実現しちゃう、という市長の宣言とともに、
動画・クラウドファンディング・実際の開演まで長く話題になり続けた「湯〜園地」

どちらも再生回数が伸びた動画なので、すでに見たことがある人も多いかもしれない。「シンフロ」「湯〜園地」ともに、いわゆる地方創生系のPR動画としては、異例の大ヒットとなったものだ。

その仕掛け人ともいうべきクリエイター、清川進也さんの話がまぁ面白かった。

彼の作品を語る上で欠かすことができない「音について」、はたまた「地方との関わりについて」、さらには「動画の仕掛けについて」など、ざっくばらんに話してくれた。

「記録音声ではなく、
 エンターテインメントとして残す」

—— さっそくですが地方の「音」って、何が特徴的ですか?

「もちろん、田舎っていう場所にも人が住んでいて、そこには脈々と人々の生活の営みが続いているわけです。そういう人たちからすると『田舎の音』って言うのは『当たり前の音』なんです。

僕は環境音などを録り集めてメロディにすることを得意表現のひとつとしていますが、実はそういう様々な音は、普段そこに生活している人にとって、あまり意識していない音なんです。

たとえば信号を待っているときに鳴る音は、確かに聞こえてはいるものの『あ、鳴った』とフラグが立つような、アラート的な機能はないと思うんです。だけど仮にこの音がすべて無くなると、不安になる。

パブロフの犬みたいに刷り込まれてる音なんですね。暮らしに安心感を与えているんだと思います。極端に言うと、その街に根付く音、アイデンティティとなるサウンドだと思う。それを単純な記録音声としてではなく、エンターテイメントとして残すっていうことが今の時代においては重要なんじゃないかな、っていうのが僕の取り組みのコンセプトです」

—— たまに実家に帰ると、虫とか鳥の音がすごく意識的に入ってきますよね。たぶん住んでいた当時は気づいていなくて。

「僕も田舎育ちなんです。福岡県の飯塚市というところで生まれ育って、山遊びとか川遊びとかも、特別な環境だとは思っていませんでした。これが一回外に出たことによって、特別だったんだなっていう気づきがありました。

僕がやっている地方の音の取り組みは、まさにそれを機能的にしたもの。僕のような『よそ者』の視点と、地元の人たちの視点が相まって、その特徴や価値を見いだせるんじゃないかな、って思っているんです。

『あ、この街の音だな』と拝借していく。地元の人からすると『当たり前の音を、なんでこんなにフューチャーするの?』と。

でも、都会がないと田舎は成立しないわけですし、相対的な関係が必要不可欠だと思います」

「絵コンテはつくらない」

—— 地方の方たちと取り組むとき、認識のズレは起きませんか?

「もちろん、たくさんありますよ! 大分のシンフロっていうPVでいうと、シンクロナイズドスイマーが温泉のなかで踊りまくるっていうのがインパクトがあって面白いんじゃないか、と提案をしたんですけど、地元の人にとっては、温泉以外にもご当地グルメやヒト・モノ、魅力はたくさんあると。せっかく作るんだから、映像のなかに盛り込みたい、そういう話が浮上したんです。

僕の立場でいくと、シンフロっていうひとつのコンセプトを貫いたほうが作品としては美しいだろうと。ただせっかく作るんだし、いろいろ盛り込みたいっていう気持ちもわかる。

そこで僕は、視覚的な情報で伝えるより、すべて聴覚で伝えてみてはどうか?っていう逆提案をしました。環境音を組み合わせることによって、ひとつのメロディが作れないか、と。

こういう話をすると、最初大抵の人はポカンとしちゃうんですが(笑)」

—— そこからどうやって説得して、理解してもらうんですか?

「よそ者の視点として、大分にどういう音があるのかをすべてテキスト化しました。オノマトペとか擬音も使って、キーワードを羅列するんです。『大分にはこういう音があって、そのすべてを録ろうと思っている。この音が記録情報ではなく、エンターテインメントになったとき、これまで当たり前に存在していた音が、ひとつのコンテンツとして仕上がっていくのを想像してみてください』っていうところから話し始めていくんです。

ただ僕の作るものは音だけではなく、最終的には映像の作品として完成させられるものなので、その映像をどう並べていくかということも、音を録りながら考えていきます。なので僕はちょっと特殊で、絵コンテを一切作らないんです。コンテ通りに録っていくと、最初に想像した以上のモノができないんですよね。

なぜなら、僕は知らないことだらけの街に『よそ者』として来ているわけですから、実際に体感することで知る新しい可能性みたいなものがたくさんあって、その色々なハブとかをその都度、分岐点として『あぁ、こういうやり方があるな』と、コマを進めていく。そういうスタイルでやっています」

—— あれだけボリュームがある映像なのに、絵コンテなしっていうのは意外です(笑)

「こういう作品をつくるとき大切なのは、作り手の僕らではなく、これを受け入れる人たちだと思うんです。そこには覚悟があるんですよね。お金もかかることですから。『よし、それで行きましょうか』と覚悟をしていただけること自体が、僕のモチベーションになっているんです。

『この人たちは本気でやろうとしているんだ』と。少しでも応えたい、という気持ちが生まれてくる。

毎回、プロジェクトごとに色々な人たちと約2〜3か月で1本の作品を作っていくわけですが、基本的に時間がないんですよね。そんな状況のなかで、最初に出会った人たちとどういう関係性を築いていくかというと、シンプルにお互いリスペクトできるかどうかっていうことだと思うんです。きっかけは単純なことでも良くて、喋りがうまいとかお金を持ってるとか。なんでもいいと思います。

限られた短い時間で信頼関係を築いてパフォーマンスを発揮する『下地作り』みたいなことをすごく大事にしています。

結局、主人公は誰なのか? っていうと、住んでいらっしゃる人たちですよね。そこに僕のようなよそ者が来て何かをやろうとするときに、その土地の風土とか住んでいる人たちに対してのリスペクトから、色々なものが始まらなくてはいけないと思っているんです。

成功失敗は色々とあると思うんですが、失敗に至る多くのものが無造作に知らない土地に入って、考え方を強制したりとか、そういうことによってモノづくりのバランスが悪くなっていく。これは自分の経験値としてもありました。

その土地に根付いているモノにはちゃんとストーリーがあるっていうことを考えて、すべてはそのリスペクトから始まっていくんだなって思います」

「動画自体がお祭りになって
 別府の街が元気になるように」

—— 地方創生のPRコンテンツってたくさんあると思うんですけど、なかには戦略的にうまく伝わらなかったり炎上してしまうものもあるなかで、清川さんの作品が広く愛されたり、どこかピースフルな雰囲気を感じるのはなぜでしょう?

「そこは、とてもデリケートな部分だと思います。その土地特有のルールがあったりすると思うんですが、まずはそのルールを学ぶところから始めるようにはしています。

ただ現状でいくと、こういう地方の動画ってすでに過渡期に入っていて、多くの自治体がPR映像を作ったんですが、少し乱暴な言い方をすると、多くのものがそもそもの目的を果たしていないと思っているんです。

なぜかと言うと、見られてないんです。その理由を考えてみると『作ること』をゴールにしてしまっているからじゃないかな、と。作ったあと、それをどうやって伝えていくかまで考えるのも、地域の人の役目だと思うんです。なぜなら、そこでずっと暮らしてきた人たちだからこそ伝えたいものや伝え方があって、結局その人たちが一番理解しているはず。そうなると、完成したあとにどういう物語を作っていくのか、っていうところまで含めた動画制作でないとダメだと思っています。

過渡期ならなおさらで、まずはちゃんと目立たなければいけない。ただ、何でも目立てばいいのかっていうと決してそうではなく、その土地のお作法に則った目立ち方が存在するのではないかと思っています。僕が先月までやっていた別府市の『遊〜園地』に関しては、そのお作法に則って設計しました。

そもそもの話をすると、なにか1本PR動画を作る、というプロジェクトが進んでいたんですが、その最中に熊本と大分で大きな地震が起きてしまいました。改めて別府の街に訪れたとき、明らかに住んでいる人たちの元気がなかったんですね。直接的な被害は少なかったものの、観光都市として観光客がいなければ成立しない街が、風評被害によって稼働率が例年の20%とか、そういう状況になっていたんです。

動画を作る目的は、もちろん観光PRとして別府の良さを伝えることもあるんですけど、これによって街そのものが元気になるっていう機能があるものじゃないといけないんじゃないか、と。このタイミングだからこそ、動画自体がひとつのお祭りになるような、そういう企画を考えてどんどん内容をシフトしていった、という経緯があります」

—— 別府市もスムーズに受け入れてくれたんですか?

「市長を含めていろいろと作戦を練る時間があったので、震災や全国的な地方観光RP動画のムーブメントみたいなことも考慮して、しっかり目立つものである必要性があること、もうひとつは持続可能なものであること、がポイントでした。

動画はひとつのきっかけでしかないんだな、と思っています。そのきっかけを経て、街が本当に盛り上がっていくような、それが僕らの手によって作られるものではなく、街の人たちが主体となって、100%別府市のコンテンツとして最後まで落とし込めるような設計図を作る必要があると思いました。

わりと、その入念な計画は立てる時間はあったんです。もはや、なんでも動画を作ればいいっていう時代ではなくて、粘り強く街に残って、街に住む人たちが自分事化して『これはみんなで頑張んなきゃどうしようもないよな』って思ってもらえるような仕組みにしていった、というのが経緯です」

「お客さんの心意気×地元の心意気」

—— ひと通りプロジェクトが終わり、地元の人たちの反応はいかがでしたか?

「前例のないことだったので、行政も僕自身も手探りだった、っていうのが正直なところです。ゴールも明確とは言えなかったんですけど、ただ『温泉遊園地をつくる』っていう無謀なチャレンジのなかでクラウドファンディングを始めて、8千円の入園タオルを用意したんですが、それをたくさんの人が買ってくれました。そこで気づいたことがひとつあるんです。

まだ何も実態がないものに投資してくれた人たちの衝動や心境って何なのか、って考えたとき、これは夢への投資だ、と思ったんです。もしかしたらズッコケるかもしれないけど、8千円を払うことによって遊園地が完成するかもしれない、という応援の気持ちや心意気を感じてしまったわけです。

かたや、この心意気に対して、街の人たちは『どうしても、湯〜園地を成功させなければいけない』と、集まり始めたんですね。今の自分たちが持っているチカラをフルに発揮して、来ていただける人たちをちゃんとおもてなししなきゃいけない、っていう心意気のようなものが生まれてきました。

そのちょうど狭間にいた僕が思ったことは、この心意気と心意気がどう混ざり合って『湯〜園地』が完成していくのか? ということで、メディアでいろいろと取り上げていただいたことにはすごく感謝していますけど、それは本当に表層的なものでしかなく、別府の人たちと、いらっしゃるお客様、この2つの心意気が相まって完成したものが『湯〜園地』の本質だと思っています」

—— なるほど。そう考えると「動画」は本当にきっかけにすぎなかったんですね。

「実際のアトラクションとなると、いろいろな問題がありました。たとえば、お湯を張ってジェットコースターを走らせるとなるとブレーキが効かなくなる、とか。安全面には最大の考慮をしながら、かつそれ以上のものを提供するのが今回のミッションだったとすると、それってなんだろう? という話になってくるわけです。

動画も話題になったし、クラウドファンディングでお金もたくさん集まりましたけど、それでもディズニーランドを超えるようなスリルを味わえるアトラクションを作るには、到底足りないわけです。それには「人のチカラだろう」と思いました。

別府の人たちには、観光都市として根付いた「おもてなしの心」みたいなものがすでにありました。どの街にも市民憲章というものがあると思うんですが、3項目ある別府市の市民憲章には、一番最後に『お客さまをあたたかく迎えましょう』と記されているんです。

ということは、その『おもてなしの心』が遊園地のアトラクションになるんじゃないかなって思ったんです。そこからたくさんのボランティアを募ったり、遊園地での体験が増すような仕組みを作り上げていきました」

「息継ぎをさせないこと」

—— つい、達成したか否か、実現したか否か、成功したか否か、というところだけに目を向けがちですよね。

「たとえば炎上という言葉がありますが、極端に言うと目立つっていう手法の問題でもありますよね。炎上商法っていうものがあるくらいですから。度合いや質はさまざまですけど、そこにPR的な側面があることは否定できません。

ただ僕は、議論をしていくことが大切だと思っています。そういった意味では、別府市が起こしたアクションによって日本中の人が『本当に成功するのかどうか』ということも含めて議論していただけたのは、狙い通りだったと言えるかもしれません。

結局、息継ぎをさせないことが大事だと思っているんです。

たとえば、動画が出来ました。そこでホッとするのではなく、すでに次のミッションが発動しているんです。100万再生達成したことで、次はクラウドファンディングにつなげて、2ヶ月後には実際につくる『湯〜園地』とはどんなものなのか? と、つねに数珠つなぎになって、コンプリートとミッション発動が連鎖されていたのが、このプロジェクトの仕組みでした」

—— 次が気になる、次が気になる、と。確かに自分の周りでも「達成できるの?」「お金集まるの?」「実現できるの?」と話題に上がっていましたね。

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。