つかまえられない “妖精” のようなビョークに、永遠にふりまわされたい。

独自のアイデアやファッションセンス、“妖精のよう” と形容されるピュアな出で立ちや、唯一無二の歌声。50代に突入した今も、多くのファンを魅了しつづけているビョーク。先日おこなわれた『FUJI ROCK FESTIVAL 2017』でも、最終日のヘッドライナーを見事につとめあげました。

彼女はアイスランドの生まれながら、三島由紀夫の文学、川久保玲やジュンヤ ワタナベの洋服、荒木経惟の写真を好むなど、親日なアーティストとしても知られています。

そんなビョークですが、幼少期より「天才」として語り継がれる武勇伝は数多く。『ロック豪快伝説』(立東舎刊)に掲載されているエピソードを、いくつかご紹介します。

※以下は立東舎文庫『ロック豪快伝説』の「the 色彩乱舞 魅惑の女性アーティスト編」からの抜粋です。

天才少女、ビョーク

5歳のときから音楽学校に通い、クラシックと音楽理論を学ぶと、まもなく曲を書き始めたという。そして、11歳のときには早くもアルバム・デビューを果たした。自作の曲まで収録されたこのアルバムは、アイスランドでゴールド・ディスクを記録する大ヒットになり、一躍 “天才少女” ともてはやされた。

ところが、このデビュー・アルバムが大ヒットしたにもかかわらず、続くアルバムの発売を拒否すると、その2年後に自らドラマーとしてパンク・バンドを結成したのだった。

そのワイルドさはDNA?

ビョーク好きのアメリカの評論家、エヴェリン・マクドネルの書いた『ビョークが行く』(エヴェリン・マクドネル著、栩木玲子訳、新潮社)には、雑誌『インタビュー』でジョン・サヴェージに語ったコメントが載っている。

「私の子供時代は本当にワイルドだったけど、育てられ方としては最高だったと思う」。で、そんな最高の育て方をした母親はどんな人だったかというと、「母は信号機のてっぺんにのぼって幽体離脱をしちゃうような、そんな人だった。頭が良くて誇り高くて」。

10代半ばで組んだバンド、
ステージにでてきた姿は...

10代半ばで詩人や芸術家たちと始めたククルというバンドで、アイスランドのテレビに出演したときのことだ。眉毛を剃って登場したうえ、当時ビョークは妊娠していたのだが、その大きく膨らんだお腹を出しながら歌ったのだ。

しかも困ったことに、その番組を見ていた視聴者の女性がビックリ、心臓発作を起こしてしまった。

愛されすぎたがゆえに...

96年、音楽を通じて意気投合したゴールディとの婚約を発表したのだが、これにショックを受けたアメリカ・フロリダ州のファンが本の中に爆弾を仕掛けて、ビョークのロンドンの自宅に送りつけるという事件が起こっている。

爆弾はビョークの自宅に届く前に無事処理されたのだが、爆弾を送りつけたファンが自殺するという悲劇的な結末となった。しかもそのファンは自殺までの一部始終をビデオに残し、そのBGMにはビョークのアルバム『ポスト』に収録されている「アイ・ミス・ユー」が使われていた

ビョークが “天才” だけに、やはりエキセントリックなファンが多いのだろうか。

 

Top illustration by 鈴木順幸

TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。