【アスリートの心の旅】元卓球日本代表・平野早矢香「私が“鬼”になる時」(後編)

心が強くなければ、戦えない。でも、強い心を手にするのは、決して簡単じゃない。トップアスリートはどのようにして“強い心”を手にし、それを発揮してきたのか。「心の旅」をテーマとするインタビューで、彼らの内側に宿る特大のエネルギーに迫る。元卓球日本代表、平野早矢香の後編。

※前編はこちら

平野 早矢香

1985年生まれ、栃木県出身。5歳から卓球を始め、18歳で全日本卓球選手権・女子シングルスを制覇。以降、計5度の日本一に輝くなどトップに君臨し続け、2012年ロンドン五輪・女子団体では日本史上初の銀メダル獲得に貢献した。2016年4月に現役を退き、現在は解説者を中心とする卓球の普及活動で幅広く活躍している。

仙台育英高を卒業してミキハウスに入社した平野は、その1年目、全日本選手権を制して日本一になった。

ところが、本人の喜びとは裏腹に、周囲はあまり盛り上がらなかった。それどころか「まぐれ」だの「世界では勝てない」だのといった冷ややかな言葉も聞こえてきて、なんだか少し、寂しい気持ちになった。世間の注目は、15歳で同大会のダブルスを制し、シングルスジュニアの部で優勝した天才少女“愛ちゃん”に集まっていた。

それでも平野は、黙々と目の前の目標に立ち向かった。全日本選手権を制すること通算5度。オリンピックには2度出場し、ロンドンでは団体銀メダルを獲得した。彼女が鬼の形相で、まっすぐに突き進んできた心の旅の道のりは、引退した今でもやはりまっすぐに続いている。

もう1回勝たなきゃ
認められない

――現役時代を振り返ると、仙台育英高を卒業した2003年、社会人1年目にして全日本選手権シングルス優勝を成し遂げました。

平野 その前の年、高校3年生の全日本選手権はベスト8がやっとという感じだったので、自分でもすごく頑張って、なんとかそこまでたどり着いたという大会でした。ただ、周りからは「まぐれ」と言われたくらいだったし、自分にもそういう感覚があったので「もう1回勝たなきゃ認めてもらえない」という気持ちが強かったんです。 

――でも、まぐれで日本一になるなんて実際にはあり得ないですよね。

平野 そうですね……。私自身、優勝したらみんながもっと喜んでくれるかなと思っていたんです。もちろん身近なところで応援してくれている人たちは喜んでくれたんですけど“それ以上”ではなくて、専門家の方には「こんなにレベルの低い全日本の決勝は初めて」とか「こんなにオーラのない全日本チャンピオンは初めて」と言われてしまったりもして(笑)。

――厳しい……。

平野 やっぱり悔しかったですね。結果的には次の年も優勝することができたんですけど、今度は「世界では勝てない」と言われてしまって……ハハハ!

――元気(笑)。

平野 今となってはそれで良かった気がするんですよ。2004年の世界選手権ドーハ大会で日本代表団体は3位になりました。私は全日本選手権で優勝したからメンバーに入れてもらえたんですけど、実際のところ、世界の強豪選手を相手に勝てるようなタイプはでなくて。

――ちなみに、当時15歳だった愛ちゃんを含めて、女子卓球界のパワーバランスはどんな感じだったのでしょう。

平野 私が全日本で連覇する前は梅村さんが2連覇していて、藤沼さんもオリンピックに出場しているし、経験、実績とも私よりずっと上というイメージでした。だから、私自身の立ち位置としてはすごく難しかったんです。全日本で連覇することはできたけど、実際のところはもっと強い人がいる。もちろん愛ちゃんはすごく注目されていたから、メディアでは「愛ちゃんは何回戦で負けてしまいました。今回は平野さんという人が優勝しました」という感じで取り上げられますよね(笑)。 

――やっぱり、悔しさもあったのでは? 

平野 なくはなかったです。でも、だからといってどうこうという感じではなかったし、世界を視野に入れていたから全日本で優勝してもそれで満足という感じではありませんでした。たぶん、私自身の意識が「もっと強くならなきゃ」という方向に向かっていたので、それが良かったんだと思います。それに、当時は愛ちゃんに対する注目や期待がものすごく大きくて、それに救われたところもありました。もしあの時、卓球界の期待が私に集まることがあったとしたら、私はその重みに耐えられなかっただろうなって。ある意味、愛ちゃんがそれを背負ってくれたからこそ、私は私自身に集中することができたと思うんです。

なんだかすっごく
申し訳なくて!

――ただ、全日本を連覇したことで単純な“強さ”という意味では自信を持てたのでは?

平野 そういう気持ちはありました。でも、そこからはすごく難しかったですね。2008年の北京五輪は愛ちゃんと一緒に“エース”という見られ方をしていたので、そうなると、メダルを獲るためには今まで勝てなかった選手に勝たなきゃいけない。プレッシャーも大きくなる。結果を残すほど自分よりずっと大きな壁と向き合わなければいけないので、それを越えるためにどうすればいいかをずっと考えていた気がします。

――エースの自覚というか。

平野 なんとなく、はい……。

――その座を守りたいという気持ちは?

平野 それは、あまりなかった気がします。もちろん、北京五輪や2010年の世界選手権の頃は自覚するところもあったと思うんですよ。ただ、2012年のロンドン五輪はシングルスの代表に入れなかったので(シングルスは福原愛と石川佳純が出場)、団体戦でもエースという立場ではありませんでした。シングルスの代表を目指していたので、そこに入れなかったことはすごく悔しかった。でも、気持ちを切り替えることはできました。

――ヘンな聞き方かもしれませんけど、愛ちゃんや佳純ちゃんに対する嫉妬心というか、そういう感情はありませんでした?

平野 うーん……。どうなんだろう……。単純に、ひとりの選手として、勝てなければ悔しいという感情はもちろんありました。でも年齢を重ねるにつれて、自分の役割をより深く理解できるようになったところもあって。やっぱり、まずは単純に勝った人がチームに貢献できるし、役割を果たせる人が必要とされると思うんです。私はそういう選手でありたいと思っていたので、それをできるかどうかが大切じゃないかなって。

――なるほど。

平野 チームとして戦う以上、チームメイトからどう見られているかも大事ですよね。ロンドン五輪ではキャプテンという役割を与えてもらったので、練習に対してどういう取り組み方をしているか、どういう意識で試合に臨んでいるか、そういうところでちゃんとしていないと、いくら口先でカッコいいことを言っても誰もついてきてくれないと思うんです。だから、あの時の私はそっちに集中していて。

――そう考えると、北京五輪からロンドン五輪までの4年間で、平野さん自身の考え方が大きく変わったんですね。

平野 北京は私にとって初めての五輪で、分からないことがたくさんあって、周りのことまで考える余裕がありませんでした。まずは自分がプレッシャーと向き合って、戦うこと。それだけでした。だけどロンドンではシングルスの代表に入れなくて、愛ちゃんと、それから8つ年下の佳純がエースの立場になって、自分の中でそれを受け入れた瞬間に「私は私の役割を果たそう」と意識がシフトしたというか……。だから、北京とロンドンでは、自分の考え方や行動に明らかな違いがあったと思います。

――テレビ画面を通じてなんとなくそういう部分が伝わってきて、だからこそ、団体戦を見ていてすごく興奮しました。世代交代の雰囲気がある中で、平野さんがそれをちゃんと受け入れて、愛ちゃんと佳純ちゃんを力強く支える姿に強く感情移入してしまったというか。

平野 そう言ってもらえるとすごく嬉しいです。あっ!

――どうしました?

平野 そう言えば私、表彰台の立ち位置が真ん中になっちゃったんですけど、あれは名前順でそうなってしまったので、なんだかすっごく申し訳なくて!そもそもシングルスに出場していないし、それこそエースじゃないからイヤだったんですよ(笑)。

――ハハ(笑)。でも、表彰台の真ん中で受け取った銀メダル、最高に嬉しかったのでは?

平野 どちらかと言うと「ホッとした」という感じでした。愛ちゃんはアテネと北京、私は北京を経験して、佳純は初出場だったけど勢いがあって、すごくバランスのいいチームだったんです。だから、ロンドンの時は私も含めて「このタイミングを逃したら一生メダルにはたどり着かないかも!」という思いで戦っていました。メダルが確定した時はホッとしました。与えられた役割をこなすことができたのかなって。

強く見せようと
頑張った自分

――引退から1年。平野さんが卓球界に何かを残したとしたら、それってどんなことだと思います? 

平野 私が卓球界に残せたこと……。そうですね……。あの、これは私の両親がよく言うことで、言われてみると私自身もそうなのかなって思うことがあるんですけど。

――はい。

平野 例えば、愛ちゃんは小さい頃から注目されていて、私たちから見ても“特別”という感じがなんとなくあるんです。もちろん小さい頃から実力があったからこそ素晴らしい環境で練習できたと思うし、そういう意味では、佳純もご両親が元卓球選手で、指導者で、愛ちゃんと近い環境で育った選手だと思います。先日の世界選手権で活躍した平野美宇ちゃんや伊藤美誠ちゃんもそうですよね。それを思うと、私は本当に普通の家庭に生まれて、どこにでもある町のクラブチームで育って、学校の部活に所属して。つまりごくごく普通の環境から日本一になって、日本代表としてオリンピックに出場するまでの選手になることができた。そういう私になれたことは、きっと私と同じように普通の環境で卓球を頑張っている子たちの励みになるんじゃないかなって。 

――うん、本当にそのとおりだと思います。

平野 もちろん、愛ちゃんも佳純もいろいろなことを乗り越えて、あそこまですごい選手になったことは間違いありません。見えないところで本人たちがどれだけの努力をしてきたかもよく知っているし、特別な環境で育ったからこそ、苦労もたくさんありますよね。私が歩んできた道は彼女たちとは少し違うかもしれないけど、そういう道のりでも大きな目標にたどり着けることを示せたのなら、それが、私が卓球を続けてきたことの意味にもなるのかなって。

――誰もが夢を見られる。それがスポーツの魅力でもある。

平野 はい。そういう意味では、むしろこれからが大切だと思っているんです。引退してから強く感じるのは、やっぱり、その後の人生も、それまでの繋がりから広がっていくものなんだなということです。スポーツは本当にいろいろなことを学べるし、私自身、素晴らしい経験をさせてもらえました。だけど、やっぱりすごく小さな世界でもあって、ひとつのことに没頭してきた分、限られた世界、限られた人としか接してこなかった。だから、その世界から一歩出てしまうと分からないことだらけで、その後の人生ですごく苦労してしまうという現実があって。そういうところに目を向けることは、卓球界だけじゃなく、きっとスポーツ界全体で必要ですよね。だからこそ、引退した選手がどんな行動で示せるかがすごく大切である気がして。 

――すごくよく分かります。

平野 これからの人生が楽しみなんです。今まで生きてきた世界は普通とは少しかけ離れていて、でも、普通じゃないからこそ味わえたこともたくさんありました。その素晴らしさって、きっと外の世界を知ることで、もっとよく分かるんじゃないかと思うんです。それに私、いつもそうなんですけど、「今が一番いい」と思っているんですよ。「いつに戻りたい?」と聞かれても答えられない。だから、これからも“今”を楽しめたらいいなって。

――最後にもうひとつお聞きしたいんですが。

平野 もちろん!

――勝負に勝つために、最も必要なものって何ですか?

平野 う~ん、難しいなあ……。

――ですよね……。

平野 たぶん、自分と相手を見る“2つの目”なのかな。卓球は相手がいるスポーツだから、自分が100パーセントの力を出したからといって勝てるわけじゃありません。もし自分が50パーセントの力しか出せなくても、相手の力を30パーセントにしてしまえば勝てる可能性がある。私、いつもそればかり考えていたんです。持っている技術が一流じゃなかったから、「いかに相手を崩すか」しか考えていなかった。そのためには、自分だけじゃなく、相手を見る目が必要なんだと思います。

――「鬼」に例えられた表情で、でも平野さんは努めて冷静に、自分と相手をじっと見ていた。

平野 私、すごく緊張してしまうタイプだから、自分自身の精神状態を保つことにいつも必死だったんですよ。自分はホントに弱いし、ホントにビビりで、だけど勝負のプレッシャーを背負わなきゃいけなから……。たぶん、自分自身を強く見せることに必死だったんだと思います。

――強く見せる。

平野 はい。だから私のあの顔は、精いっぱい強く見せようと頑張った自分の姿だったのかもしれません。ほら、小さな犬ほどよく吠えるって言うじゃないですか(笑)。

Photo by 稲垣正倫
TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。