どうして、栗城史多は何度失敗や挫折をしても、エベレストにチャレンジし続けるのか?

10月23日、登山家の栗城史多さんが秋季エベレスト遠征から帰国しました。残念ながらサミット登頂ならず、チャレンジは7400m地点での下山で終わりました。

本人が悔しさを感じているのはもちろんのこと、応援していた人のなかにも残念がっている人もいるかもしれません。

しかし、栗城さん自身は「とても悔しい。だけれども…」と語ってくれました。その言葉には、人生において誰もがチャレンジし続けることの大切さが隠されています。

「チャレンジすることは、新しい発見につながる。それが失敗と言われても」

じつは、エベレストってこれまでに登頂者が約7,000人もいるんです。比較的天候が安定している春には頂上近くで渋滞が発生するぐらい。テクノロジーの発達など、いろんなことが発達したおかげで、エベレスト登頂は限られた登山家だけが叶えられる夢じゃなくなってきているんですね。

素晴らしいことです。

そのなかで、僕がチャレンジしているのは、単独・無酸素での秋季エベレスト登山。秋のエベレストは雪も多いし、ジェットストリームと呼ばれる強風が吹きます。悪条件が重なっているんです。

そんな秋季エベレスト登頂に、今回を合わせて6回チャレンジをしています。そして、まだ登頂ができていません。あきらめが悪い…と言えばそれまでですが、僕はこう考えているんです。

チャレンジするっていうことは、たとえ失敗だと言われても、新しい発見につながる。

今は合理性が求められる時代だから、結果にばかり目がいきがちです。でも、結果ばかりを重視すると、困難なことは全部やめてしまおうとなる。すると、何も得るものはありませんよね?

日本語っていうのはうまくできています。「難が有る」と書いて「有難う」、「難が無い」と書いて「無難」。まさにそういうことだと思うんです。

そもそもチャレンジっていうのは、大抵うまくいかないものです。それが登山でも、転職でも、恋愛でも、なんだってそうだと思います。でも、うまくいかないっていうのは決して悪いことじゃないんです。むしろ生きていくなかで「うまくいかないこと」から学ぶことのほうが多いはずです。

これまでの登山経験を振り返っても、登頂できた山よりも、できなかった山のことをよく覚えています。そして、そこから学んだことが、僕の礎になっています。

…とは言え、登頂できなかった悔しさはめちゃくちゃあります。そこを正当化するつもりはありません。応援してくれた人にも申し訳ないという気持ちで一杯です。

そして、僕はもう次のチャレンジの準備をはじめています!

「トレーニングは当たり前。日常で大切にしている準備、それは“人間関係”です」

「山を登る準備って、どんなことをしているんですか?」

よく聞かれます。登山家として、トレーニングなど行い、カラダを鍛えたり、体調を万全の状態に整えたりするのは当たり前。目標を決めて計画的に行うようにしています。

それよりも一番大変な準備は、遠征のための費用を集めることです。クラウドファンディングをやったり、スポンサーをまわったり…そう言うと、お金に執着しているように見えるかもしれませんが、そうではありません。

僕は自らの登山をする際、“冒険の共有”にこだわっています。ただ自分が登るだけでなく、それを中継するなどしてリアルタイムで発信していく。それを見て「チャレンジしよう」と思ってくれる人が増えて欲しいと考えているんです。

中継などの費用がかかるため、通常の登山よりもお金がかかります。つまり、メッセージを伝えるためにお金が必要で、僕の理念に共感してくれる人や企業を探すのが、僕にとっての山登りの準備なんです。

これは大変です。共感してくれる人を見つけるのは、簡単じゃありません。ただ、僕にはひとつだけ武器があります。それはコミュニケーションです。

どういうことか? 

スポンサー探しで大事なのは、人としてちゃんとしているか、礼儀はできているか、そういうことだったりします。つまりは人間関係なんです。なんだかカタイ話ですが、実際人間関係、ひいてはコミュニケーションがもっとも大切だと思います。

何かにチャレンジしようと思った時、野心が前に出てしまう人もいると思います。でも、それじゃ誰も共感してくれません。スポンサーだけでなく、普段の人間関係で、いろいろなつながりができて、その先に僕のチャレンジとかメッセージがあるイメージです。

実際、僕のことを応援してくれる人は、ほとんど口コミなんです。スポンサーも毎回断られても「誰か紹介してくれませんか?」と、次の人を紹介してもらうようにしています。クラウドファンディングだって、講演だって、口コミで広がっていくことのほうが多い。人間関係がなかったら、僕はエベレストにチャレンジできない。

そうじゃなかったら、さっきの話じゃありませんが、チャレンジに結果だけが求められてしまいます。アスリートのなかにも「成果を出せば、スポンサーがつく」と思っている人もいます。それだけだと厳しいだろうなと思います。登山や競技だけでなく、普段からどう人として振る舞うか。人間関係を大切にして、成績や結果よりも、自分のチャレンジする姿勢に共感してもらうほうがいい。

アスリートや登山家だけじゃありません。どんな職業や年齢の人でも、すべては人間関係が基本だと思います。 

「チャレンジのなかで、僕が得たもの」

栗城 史多(くりき のぶかず) 登山家 1982年北海道生まれ。大学山岳部に入部してから登山を始め6大陸の最高峰を登り、8000m峰4座を無酸素・単独登頂。2009年からは「冒険の共有」としてのインターネット生中継登山を始める。2012年にはエベレスト西稜で凍傷になり、手の指9本の大部分を失うも、2014年7月にブロードピーク(標高8047m)に無酸素・単独登頂し復帰。また、企業や学校で応援し合うチーム作りと人材育成を専門とした講演を行い、人材育成のアドバイザーとしても活動している。

僕がこれまでのチャレンジのなかで、得てきたものーーそのひとつが「カラダの意思」を尊重することです。

2012年の春、僕はシシャパンマ南西壁で6500m付近からクレバスに落ちて骨折しなんとか生きて帰ってきました。じつはそれには予兆があって、ベースキャンプを出発して、わずか3分ぐらいで足をくじいたんです。回復を待って登りだした結果が、転落でした。

それまで僕は登山で足をくじいたことなんてありません。後で振り返れば、出発前に日本で医師に「うつ病の症状がみられる」と言われ、ベースキャンプでも眠れなくて、仲間にも「なんかいつもと違う」と言われてました。でも、自分自身は登る気満々でした。

つまり、頭の意思とカラダの意思がまったく違ったんです。そして、頭の意思というのは、変えられるんですね。無茶なことでも「やらなきゃ」と思えば、変わってしまう。一方、カラダの意思は変えられない。だから、カラダの意思に耳を傾ける必要があるんです。

以降、僕は日常生活でも、頭とカラダを分けて考えるようになりました。今でいうと、マインドフルネスとかヨガとかに近いかもしれません。

両方の意思に耳を傾けることで、本当に大切なものは何か、それがいろんな局面で見えてくるようになります。

これは僕が、山を登るというチャレンジをしてきたからこそ、気づいたことです。人によってはそれがマラソンかもしれないし、カラダを動かす以外のことかもしれない。いずれにせよ、成功したからではなく、失敗から学んでいます。

だからこそ、チャレンジは成功だけが目当てじゃない。その過程や失敗で成長するために、必要だと思うんです。

「成功するためだけではなく、その過程で多くのことを学ぶためにもチャレンジが必要」と説く栗城さんの言葉にハッとさせられます。結果よりも過程が大事とは、まさにこのことですね。

とはいえ、チャレンジには備えが必要。メットライフ生命では、病気や怪我など万が一の際の、保険を通じた経済的な保障はもちろんのこと、いつもあなたの人生に寄り添う、信頼できるパートナーとして、健康な時にも皆さんの支えになるようなサービスを提供しています。

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