登山家・栗城史多氏、エベレストに8/16より再チャレンジ 今回のテーマは『否定という壁への挑戦』

2012年秋、重度の凍傷により手の指9本を失いながら、その後も世界の山々の登頂に果敢に挑み続ける登山家・栗城史多さん。

今秋、再び単独、無酸素でのエベレスト登頂チャレンジが決定しました。テーマに掲げたのは『否定という壁への挑戦』。


いまだ見たことない景色
秋の最高峰へ

1953年5月29日、ニュージーランド人登山家エドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイが世界で初めてエベレスト(8,848m)登頂に成功してから、これまでじつに7,000人近い登頂者を輩出してきました。しかし、その多くは気候条件の安定した春のシーズン。

栗城さんは、これまで5度にわたって秋季エベレストへの挑戦を続け、厳しい壁の前に跳ね返されてきたひとり。それでも、なお秋にこだわりつづける理由は「生身のエベレストと向き合いたい」から。

そもそも、秋季のアタックが難しいのは、ジェットストリームと呼ばれる強風が、長い時には2週間ほど吹き荒れ、ひとたび強風が吹けば、体感温度はマイナス50℃近くにまで下がる厳しい気候条件から。ただでさえ困難のなか、彼は単独で、しかも無酸素でこれに挑もうというのです。

それでも、「あの冷たい空気と宇宙のような星空、苦しいかもしれないけど、そこは最高の場所」と栗城さんが表現する、“生身”のエベレストがどうやらそこにはあるようです。

9本の指を切断したとき、
父からかけられた
「おめでとう」のひと言

2012年秋のエベレストで、両手両足と鼻が重度の凍傷に見舞われた栗城さん。鼻と足は残ったものの9本の指を第二関節から失いました。

指を失うことで、夢を失うことが怖かった──。

挑戦はここで終わりかもしれない。失意の底にいた登山家に、再びピッケルを握る勇気を与えたのは、切断手術の直前に電話口で言葉を交わした父・俊雄さんのひと言でした。

電話の向こうで俊雄さんは「おめでとう」、そう声をかけたといいます。

「ひとつは生きて帰ってきたこと。そして、もうひとつは苦しみを背負ってまた山へと挑むことができる。苦しいかもしれないけど、それはお前にしか味わえない素晴らしい体験なんだ……」

この言葉がなければ、もう引退していたはず、そう栗城さんは胸の内をもらしました。今でも出発前の父親との短い電話が、大切な儀式になっているんだそう。支えてくれる人たちがいるから自分はチャレンジできる。そして、再び8,000メートルの世界へ。

失敗も挫折も共有することで
「否定という壁」をなくしたい

でも、本当の夢は秋のエベレストを登ることではない、こう栗城さんは強調します。彼は今、自分の失敗や挫折を応援してくれるすべての人々と挑戦を共有することで、「どうせ無理」「失敗するかも」という、多くの人の心の壁を取っ払いたい、と。

もはや登山家・栗城史多の代名詞とも言えるインターネット配信で行う、エベレスト生中継「冒険の共有」は、もちろん今回も実施予定。多額の資金調達のため、講演やスポンサー企業へと全国を周るたび、地上の世界にはびこる“否定という壁”にあふれた現実に直面してきたそうです。

「たとえば学校や企業で話をすると、『これにチャレンジしたい』という意見に対し、「お前の今の成績じゃムリだ」と誰かが否定してしまうんです。僕の言う共有とは、この否定を少しでもなくすマインドであり、本当の狙いは失敗と挫折の共有にあるんです」。

“見えない山”に挑む、
すべての人たちへ

「失敗や成功、結果ばかりを気にして、どこか生きづらいと感じるこの世の中で、失敗も成功も超えた世界に少しでも踏み出すことができればと思っています」。

エベレストから配信される冒険をシェアしあうことで、同じようにそれぞれ人生の“見えない山”に挑んでいる人たちの背中をそっと押す。否定しあう世界から、応援しあう世界へ。それこそが栗城さんの本気で目指す、人生の山の頂。

6回目の秋季エベレスト挑戦、見えない自分の山を登っている人たちとともに、「冒険の共有」が間もなく始まります。否定という壁を突き抜けた向こうに広がっているのは、はたしてどんな景色なのか?

今後の情報は、栗城史多公式Facebookから。


※本記事では、一部誤りがあったため訂正を加えております(2016/07/28 16:00)

Licensed material used with permission by 栗城史多 "Share the Dream
TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。