アナウンサーから心機一転!?好奇心とパッションから生み出す美容発明家、安田あや

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その器量良い風貌は、努力のにおいを感じさせない。しかしその内実は、挫折とパッション、人間味に溢れていた。彼女の名前は、安田あや。コスメ会社AYAの社長として、ヒット商品を飛ばす美容発明家だ。努力を苦悩と捉えず、挫折をチャンスに変えてきた。湖に浮かぶ美しい白鳥が必死に足をばたつかせているように、彼女の発明家人生の足下にも、類い稀なる情熱が積み重なっていた。

挫折、挫折、挫折。
アナウンサーになる夢を諦めた学生時代。

安田:元々は日本でスポーツキャスターになりたかったんです。父も弟も野球をやっており、私にはその知識が人一倍ありました。そのため、インタビューにも自信があったんです。従来のインタビューよりも、もっと深入りした質問が私には出来る!と考えていました。

アナウンス学校にも通って、一般地上波の採用試験も受けたのですが、私のハスキーな声では駄目だと言われ、落とされてしまいました。日本のアナウンサーには個性があってはいけないらしいんですね。誰が話しているのか分からないような、普遍的な声が求められるそうです。それで私は挫折してしまいました。

新時代のブラで一気にスターダムに…。
へ、丸々全部パクられた!?

———その後どのように美容開発に進まれるのですか?

安田:アナウンスの次に興味があったのが、美容関係でした。それでカネボウに入社したんです。新卒入社のときに、国際部と広報部、商品開発部の部長さんが私を欲しいと言ってくれました。英語が話せることと、ペラペラおしゃべりなタイプだったことが理由だったと思います(笑)。ただ、私は開発をやりたかった。

———どうして開発に興味があったのですか?

安田:学生時代に「発明の虎」という番組で入選した経験があったんです。発明のアイディアを色々な企業さんの前でプレゼンして、優れた商品は採用されるんです。もしもそのまま発売されると、その利益の数%が支払われる仕組みでした。

私が応募したテーマは「新時代のブラジャー」というもの。まだヌーブラがなかった時代なのですが、私はそういった、紐がなく、様々な衣装に合う新商品を提案しました。すると某企業さんがそのアイディアを採用したいと言ってくれて、番組から賞を貰うことになったんです。

しかし、結局番組が終わってしまって、採用も見送られてしまいました。学生時分だったので、残念だなぁ、くらいにしか捉えていませんでした。しかしその後、私のアイディアを搭載したブラが、なんとその企業から発売されたんですよ!新開発構造ブラと銘打って。カネボウの上司にもその番組を見ていた方が多くいて、君のアイディア使われたじゃん!と騒がれました。実際には私のアイディアという形で発売されたわけではないんですけどね(笑)。

しかし、それを見た上司が、私にすごく開発を任せてくれるようになったんです。それがきっかけで商品開発の道に深く進んでいくことになりました。

想いが強ければ、願いは引き寄せられる。
天啓によって導かれた、
アメリカでのスポーツキャスター生活。

———その後はカネボウで働き続けたのですか?

安田:カネボウが少し、自分と合わないなと感じるようになって、この会社にいてはいけないと思い、退社を決めました。同期の人たちも、私と同じように退社していく人は多かったですが、そのほとんどは同業他社に転職しました。しかし、私はそれだと面白みに欠けると感じたため、アメリカに留学し、MBAを取得しようと考えました。自分で行動を起こすべきと思ったんですね。

———大企業を退職して、アメリカへ留学!?すごい決断力ですね。

安田:結果的に、その半年後にカネボウは倒産してしまいましたので、タイミングとしては間違っていなかったと振り返ることができます。自分で何か行動を起こさなくてはいけないということは、常日頃から考えていたので、良いきっかけだったのかも知れません。

———アメリカでの生活はいかがでしたか?

安田:NYコロンビア大学サマースクールという、短期間講座に入学しました。周囲の同級生の方々の意識の高さに感銘を受けて、私ももっと何かに挑戦したいなぁと思いを募らせる日々でした。そんなある日、学校の掲示板で、ローカル局のメジャーリーグ・アナウンサー募集の掲示が出ているのを見かけました。これだ!と天啓のように思いましたね。アメリカと日本のバイリンガル局だったので、すんなりと書類をパスし、三ヶ月間のインターンが始まりました。

———長年の夢であったスポーツキャスターになれたわけですね!

安田
:そうですね。しかし、インターン期間はお給料もいただけなかったので、当時はアルバイトもしながら活動していました(笑)。三ヶ月後にようやく本採用が決まって、念願かない、夢だったアナウンサーになることができたんです。

パッションとロジック。
挫折をチャンスに変える、
安田流アイディアの法則。

———そこから、どうしてまた美容の道へ?

安田:アメリカのアナウンサーは、目立つことが大切なんです。金髪でブルーアイズの方と違って、私は初めのうち全然インタビューを取れなかった。そこで私はメイクを工夫することにしたんです。色々な道具を試しましたが、どうも綺麗な仕上がりにならない。あるとき、歯磨きをしていて、ブラシが山切りになっているのを見てひらめいた。自分のマスカラもはさみで山切りに切ってみたんです。そしたらそれがすごくよかった!

———それが後に発売される『FAIRYDROPS』というマスカラの原型ですね?

安田:そうです!もっとも、当時は自分のためだけに作成していました。しかし、周りの人にメイクを褒められるようになったので、せっかくだから特許を申請しました。過去に自分のアイディアが手から離れていく失敗を味わっていたので、カネボウ時代の教訓として身に付いていたんです。

それからしばらくして、アナウンサー職として5年目を迎え、私は29歳になりました。アナウンサーとしては限界の年齢なんですね。特にスポーツは、もはや研究家ぐらいになっていかないと生き残っていけない世界なんです。私はスポーツ研究家になることが夢ではなかったので、アナウンサーを辞めて日本に帰国しました。

———それから、現在の会社を立ち上げるわけですね。

安田:帰国した直後、当然私には職がなかったので、そうだ!あのマスカラを売ろう!と思い立ち起業しました。カネボウのときの先輩に紹介してもらった工場で一万本を製造しました。もしこれが駄目なら会社はたたもうと考えていたんです。プラザさんに輸入雑貨のようなイメージで売って欲しいと、自分で営業もかけ販売しました。すると、たったの一ヶ月でその一万本の全てが売り切れたんです!それから私の社長として、美容発明家としての人生が始まり、今に至ります。

———何か新しい行動を起こすときに、不安はないんですか?

安田:不安はね、あんまりないの(笑)。アイディアにおいては、それまでにかなりリサーチをするんです。オタクというか、根っからの研究家気質なんです。例えばマスカラを作る前に、100種類以上の既製品を試してから制作しています。だからこそ、そんな自分が良いと思えるアイディア、商品には自信を持っています。

———最後に、アイディアを生み出すのは、どんな能力なんでしょうか?

安田:好奇心と、パッションです。私が大切にしているのは、リサーチにお金の糸目をつけなかったり、本気で良いものを作り出そうとする熱意ですかね。アイディアは途端に降ってくるわけではありません。常に頭の片隅で課題を考えているからこそ、何かの拍子に思い浮かぶものなんですよね。偶然たまたま思いついているわけではなく、リサーチと、情熱にかけている時間や労力は計り知れません。驚き、新規性を常に追求していくと、自ずとアイディアは浮かんでくるのではないでしょうか。



最後に、現在開発中のアイディア商品についてお話いただいたが、それについてはまだ記載することが出来ない。とても画期的な新商品で、読者の皆様の生活をより良くするアイディアなのだが、発売までしばらくお待ちいただきたい。その商品が店頭に並び、我々の生活を一新する日も、そう遠くないかも知れない。美人発明家・安田あやの研究に対する情熱は、今この瞬間も注がれ続けている真っ最中なのだから。

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TABI LABO この世界は、もっと広いはずだ。